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第68回 使徒パウロの宣教 その31

レポート

2021年2月9日に第68回ヨシェルの会が開催されました。出席者は18名。

コロナ禍による非常事態宣言の延長が決まる中での学びの場、再開後6回目です。救われたはずのキリスト者が悶々としてしまう日々の葛藤がテーマです。罪を知り、自分が罪人であることを知った者が、どうしてその罪から離れることができないのか。パウロが自身の内面の葛藤を赤裸々に明かすことで、私たちを勇気付けてくれています。パウロですらそうなのなら、現代の自分が迷い悩むのも道理です。だからこそ書かれていて、学びの場が必要なのでしょう。語られる師と参加/視聴して下さる皆様と主の導きに、只々心から感謝します。

今日のタイトルは「使徒パウロの宣教 その31」。

今回も新しい想いが与えられ驚きにも出会いました。この「ヨシェルの会」は聴く方の数だけ、驚きや想いが生まれているのではないかと思っているのですが、「え?、そういうことだったの?」「そんな意味が込められているのか」…様々な刺激に満たされた時間でした。

先ずは導入部の「進化論と創造論」。今まで進化論への反論は、進化途中そのものの形跡がほぼ見つかっていないこと、心臓など緻密な動きなどがあたかも瞬時に変化したような論調などにあると、私自身は思ってきました。なので複雑な環境に合わせて生物が緻密な変化を重ねてきたいう説明には、最初からその様に造られたと考える方が自然なのではと、信仰以前の問題として認識していました。しかし、もっと俯瞰的な目で見ると、進化論は「外圧によって生き物は変化する」と主張し、創造論は「内面から変わるものだけが変化する」と捉えることもできます。

ダーウィン自身がクリスチャンなのか無神論者なのかも諸説あり、「進化論」は「神の存在」に反対する象徴としての位置付けで、現代人の「常識」として刷り込まれた可能性もあります。何れにしても、「内面の変化」や「(淘汰ではなく個々の)死」という問題を重ねて考えると、信仰の根幹に触れる部分として、この論争も一層興味深く感じます。サタンの巧妙さとともに、我々自身も聡くあるべきとも教えられます。

本文に入ると、「旧約聖書と新約聖書」あるいは「律法に生きる、律法に死ぬ」を、「結婚と死別と再婚」の話で例解します。女性に殆ど権利の拠り所がないという歴史的な状況は理解していないといけませんが、最初の夫が「旧約聖書(律法)」と考え、どこまでそれに縛られるのかという論理展開は、当時よりも現代の方が逆に分かり易いかもしれません。律法があるからこそ罪を認識でき、(罪の)肉体があるからこそ罪から完全に離れることはできない。でも解放されて良いんだよ、と自身も悶々としているパウロが後押しもしてくれます。人間の本質がこの一つの例の中に深く凝縮されているようです。

「むさぼり」についても考えさせられます。心に浮かんだ事柄を罰することは、普通は不可能です。現代はむしろより貪欲になることを推奨する風潮すらあります。しかし、神は「むさぼり」を禁じます(十戒)。一人ひとりの心の中まで吟味される神。凄い神に愛されている、守られていると思うと、絶望している暇さえなくなりますね。

最後に、師が「ロマ書は難しいですか?」と問うています。はっきり言って難解です(笑)。でも師は、アドバイスをくれています。「同じことを何度も何度も異なる言い回しで伝えている、それが返って混乱させる」と。そして、聖句を一読した後に、何が不明なのか、疑問を整理して一つずつ紐解いて行けば分かりやすい、とも。幼子のように素直に、別のみ言葉が頭に浮かびます。

次回は”勝利宣言”とも言える「8章」です。コロナ禍の暗い気分を吹き飛ばすような学びができればと願います。信仰者にとって大切な警告も示唆もアドバイスも、今回もたくさん語られました。音声動画・資料を通して更に深くお学び下さい。

PS. 質疑の間に参加者にはお伝えしましたが、「聴くドラマ聖書」がパソコンにも対応しました。スマホに不慣れな方、パソコンの方が使い易いと思われる方は、是非ともご活用下さい。延々と聖書を読んでくれます。私は朝食時やお風呂の中で、詩篇やイザヤ書などをデボーションと共に流し聴いています。鎮座して集中して聖書と向き合うことも大切ですが、日常のどこででも聖句に触れられるようになっていることを感謝し喜んでいます。ご興味ある方は是非!

感想

  1. 婚姻のたとえを通して律法との関係を学んだ。新しい夫としてイエスキリストが来られ、全人類の罪の身代わりとして死んでくださり聖なる律法を成就し、前の夫である律法の束縛から私たちを解放してくださった!感謝だ。しかし、命がけの献身者パウロですら肉からの完全な解放に至らずほんとうにみじめな人間だと嘆き、救いを完成してくださった神と主イエスキリストに感謝している。 未だに主の御心に歩みたいと願いながら知ろうともせず自分勝手に生きてしまう私が、恵みと憐れみの神の忍耐に預かっている。私もただ神に感謝します。

  2. 救われているのに、なぜ問題が生じるのか。 7章は私たちに非常に関わる章であり、偉大な使徒パウロでさえ、こういう問題を抱えていた。勝利の秘訣を知っているのに実践できない私たちに内住する罪。心の法則と罪の法則。 罪の法則の究極は十戒の十番目、むさぼりの戒め。心の内で芽生えた小さなむさぼりがそれを温めて行くとやがて表に現れる罪となる。心の内にあるものを裁くことができるのは神のみ。人が作った法律にはそれはない。ここに十戒が神からきた戒めであることを明らかにしているという解説に目が覚めるようでした。 次回8章、圧倒的な勝利を得る霊の法則を学べるのを楽しみにしています。

  3. ロマ書7章、難しいと思っていた個所ですが、丁寧に講義してくださり、また最後にまとめもしてくださったので、理解が深まり整理出来ました。ありがとうございました。

  4. 「私は本当にみじめな人間です」というパウロの告白。信仰者であるが故に生じる葛藤や問題や戦いがある中で、大使徒であるパウロ自身が実際に苦しみ悩んでいたという事実を知ることは慰めであります。イエス・キリストの十字架の贖いにより全てのものから解放され自由になったのだから、再び律法の掟に縛られることは不要。感謝と喜びの信仰生活をしていきたいと改めて思わされました。

  5. とても良く解りました。フルダ先生を通して解き明かしてくださった神さまに感謝します。