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第67回 主の再臨と信徒の携挙

レポート

2021年1月12日に第67回ヨシェルの会が開催されました。出席者は13名。

コロナ禍第三波が猛威を振るう中での学びの場、2021年最初、再開後5回目です。先が見えない不安の中、いよいよ終末を感じつつ、そんな中での生き方を聖書から学びます。今までのパウロの旅路から少し離れ、テーマは「携挙」。信仰者にとって、終末期の一番の関心事の一つです。様々な言葉が飛び交う終末期直前、イエス自身が惑わされるなと仰っていることの意味を、いま一度聖書と向き合って考える時間となりました。語られる師と参加/視聴して下さる皆様と主の導きに、只々心から感謝します。

今日のタイトルは「主の再臨と信徒の携挙」。

全体的には、「艱難前携挙説」の矛盾を問う内容です。その起源(スコットランドでの個人的予言)を明らかにし、拡大に関わった三人の指導者たち、そして独自の聖書(スコフィールド聖書)の生い立ちと展開、そして基本的な拠り所となる「天啓法時代論(ディスペンセーション主義/Dispensationalism)」にも触れます。ある日突然、真の信徒たちが一斉に忽然と姿を消す。小説にも映画にもなっている、艱難期直前の大パニックに繋がる「説」に対する反証です。この「秘密の携挙」とも呼ばれている「大失踪論」の七つの根拠を、一つずつ見ていきます。

このヨシェルの会は、「艱難後携挙説」に立ち、信徒も艱難期を通過するが、主は大いなる慰めと励ましを持って、共にいて守って下さる、という信仰を基軸にしています。世界的に見ても、「艱難前携挙説」が多数派であり、多くの霊的指導者達も「秘密の携挙」を語ります。字義通りの聖書解釈と謳って、多くの点で共通理解を持っていても、この「携挙」に関しては意見が分かれることも多いのが実情です。

二時間弱の学びの中でも、主と再びまみえる時は再臨のはずなのに予め引き上げられるのか、ことさらに聖書が「備え」に触れているのは何故なのか、イエスが「杯」を取り除けて下さるように願いつつも御心のままにと祈った姿はなんなのか。「秘密の携挙」説に立つほどに、多くの疑問が生まれ、それが矛盾の形で、聖書のほころびの様に映ります。

そして苦しみの直前に突然引き上げられる教えは、どこかご利益宗教のようで、信仰が免罪符のような姿に見えて来ます。いつ引き上げられるか分からないからこそ、常に備えて神を信じて歩め。結論的には同じことを言いますが、何か釈然としない想いが影を落とします。

本当に終末がすぐそこまでやってきているとしたら、主が語られたように、信徒はもっと述べ伝えるべき段階に入っているはずです。それは単に未信者との葛藤だけではなく、「惑わされるな」と主が語ったように、同じ信仰を持っているはずの人たちとの関わりも増えていくことを意味しているのかもしれません。現に、これまで学んできたパウロの歩みも、同じ信仰を持つ者たちとの闘いや衝突が多いように思います。

コロナ禍で、人との会話が激減しています。証しをする場も減りました。信仰について議論し深め合う時間も取れなくなってきています。だからこそ、誰かと携挙について、聖書について話す時、信仰者は自分の頭で考え、自分の言葉で語る重要度が増しています。誰かが言っていたから、教えられたから、そんな根拠で聖書を語るべき時代はとうに過ぎてしまっているのかもしれません。

イエスの時代も、大多数のパリサイ派が、「神の言葉」をさも正しいかのように「代弁」していました。神の子イエスの前でも、とうとうと自らを利する自説を述べています。結末を知る現代の信仰者には、それらがどれだけ傲慢で詭弁であるかが分かります。でも自分がその渦中にいたなら、正しく判断できたでしょうか。イエスの言う「狭い門」を通るには、真心からか、そして自分で考え抜いたものかが問われます。

自ら聖書をねじ曲げて自分たちが救われるように解釈しなくても、主は私たちを見捨てたりはしません。それを確信するためにも、学びを続けたいと思います。信仰者にとって大切な警告も示唆もアドバイスも、今回もたくさん語られました。音声動画・資料を通して更に深くお学び下さい。

参考

  1. 第15回 終末論その3 | ヨシェルの会
  2. 第42回 使徒パウロの宣教 その10 | ヨシェルの会
  3. 一人で学べるキリストの啓示 - 文芸社

感想

  1. コロナ感染増大の中、全てが守られて出席できたことは感謝でした。米国大統領選のニュースに触れるたび、テンションが下がり終末預言に近づいていることを実感していた時だったので今日の学びはキリスト者としてどう備えるかを再確認! 感謝でした。
    天の時間と地上の時間の違いについての話の中でイエスさまが墓に葬られ、復活された直後マグダラのマリアには私に触れてはならないと言い、その数分後?婦人たちが足を抱き、ひれ伏すのを許された。この違いは何故だろうと思っていた箇所。講師の見解になるほどと納得でき感謝でした。

  2. 艱難期前携挙説に関しての講義、ありがとうございました。YouTubeを通して聖書のメッセージを聞く機会が増えましたが…多くのメッセンジャーが「信徒は艱難を経なくて携挙されるから大丈夫!次に起こるのは信者の携挙!」と語り、強調することに違和感を覚えます。家族をはじめ多くの方々が未信者である状況下において、このようなメッセージは慰めを得るというよりはむしろ心に痛みを感じます。今回の講義を通して改めて前携挙説に関しての聖書的な確証はないと思いました。ただ、主の再臨がいつであろうとも私たちは自分自身を備え整えること、周りの方々に主の愛と救いを伝えていくことが大切であると強く思わされています。厳しさが増す今の時代、福音宣教の業が進められ、この日本においても霊的覚醒が起きて欲しいです。

  3. 主の再臨と信徒の携挙について改めて学ぶ機会であり、聖書に書かれているみことばの解釈の問題で携挙がいつ起こるかが論じられたが、正直なところ今回は混乱している。 世界で背後にひどい不正が蔓延しているニュースを見聞きする度に、艱難期は近く、世界人口の二分の一以上が滅びる戦争や飢饉や殉教にも直面することになるかも知れないと感じさせられている。艱難後携挙であるならなおさらだ。
    いずれにせよ、勝利を与えてくださった主に感謝をし、落ち着いた生活をし、主の御旨に従って歩みたい。講義に感謝します。

  4. 艱難期前携挙説に関しては以前にも何度か説明してくださいましたが、再度この説の信奉者の根拠と反証について詳しく講義してくださり、理解が深まりました。感謝します。

  5. 神の時・再臨に備えることの大切さを痛感しました。そしてそのためには聖書をしっかり学ぶ必要があると思わされました。