レポート
4月11日に第28回ヨシェルの会が開催されました。参加者は20名でした。
この日はユダヤ教の主の例祭である、過越の祭り。
イエスさまの受難に思いを馳せながら、キリストに属するものとしての自らの歩みを見直すべく、良き学びの時間となりました。
今回のテーマは「教会 『キリストのからだ』-その1」。
一般的に教会というと教会堂・建物をイメージしがちですが、聖書が語る教会とはどのようなものなのか。宗教的な組織や人間の思いに基づくものではない、キリストのからだなる教会に焦点をあてて語ってくださいました。
教会ということばは、ギリシャ語で、「エクレシア(集い、集まり)」、「コイノニア(交わり、分かち合い)」を意味するように、信徒の定期的な交わり、集いが根底です。聖書は、イエス・キリストを信じている信徒は他の人々とともに神を礼拝し、信仰の成長のために御言葉を教えられ、定期的に集まる必要があると語っています。キリスト者はキリストのからだの一員として、それぞれに与えられている賜物を用いて、互いに仕えあい、愛しあい、励ましあう必要があるのです。教会は上下関係ではなく横の関係での繋がりであり、教会のかしらはイエス・キリストご自身です。
初代教会の構成、特に指導的な役職にあった長老や執事の役割、教会間の相互援助や交流に関しても聖句に基づいて説明してくださいました。
また、礼拝が拘束されたり禁止された場合など、教会に通えない状況下の考察、及び、自分が所属する教会を決めるにあたっての指針についても触れてくださいました。確かな基盤に立っている教会を探す上で大切なことは、「この地上に完全な教会はない」、教会は、霊の戦いのさなかにある「罪人たち」の集まりであるということを銘記しつつ、祈り求める必要があるということです。
今日の日本で、こうした「教会」を学び直すと、自分達の置かれている恵まれた環境のことも頭によぎります。私たちは、いつの間にか、主が望んでいる教会ではなく、私たちが居心地の良い教会を目指し始めている気さえします。伝えることに全力を出し尽くされた主の御跡を、喜んで進んで行きたいと思わされます。
健全なキリストのからだなる教会で、実りある信仰生活を送ることが出来ますように!そのためにも是非、資料・音声を通してさらに学んでください。
感想
- 初めて参加し、教会についてはっきり教えていただき有益でした。教会はエクレシアとコイノニアであり、イエスキリストが主任牧者であること、霊の賜物を用いて他の人のための働きに従事することが大切であること、その時の心の動機を神は見られることが心に残りました。またそのために日々の自己除霊が必要だと知り、それについて学べなかったのでまた教えて欲しいです。
- 今回の学び【教会】については、現教会の諸問題にこの数年間苦しんでいた私には大きな励ましと希望と勇気をいただきました。本当にありがとうございます。 手の施しようのない現実ではありますが、キリストが教会のかしらである・・母教会を再度考えるよい機会となりました。更に多くのテーマはより具体的で参考になりました。 ヨシェルの会の学びは深い内容が多く、参加するたび大きな力をいただき主に感謝しています。
- 時々、教会のかしらがキリストであることを忘れたり、聞いた御言葉をなかなか伝えれなかったり、他の方のために奉仕することの思いを思い出すことができました。
- 教会とは、信徒の定期的な交わり、集いのことである。ここでは、場所が問題なのではなく、内容が重要である。 このことを教えられ、地域教会で常々感じる違和感の理由がはっきりしました。正しい聖書理解へと導く、みことばの説きあかしがされていない教会であること、そして信者が無知のまま放置されていること、大きな問題です。立派な建物があっても、豪華な食事をする交わりがあっても、意味がない…
- 大宣教命令が日本では全く足りていないこと、キリストの再臨の妨害になっていることを教えられショックです。随分長く伝道して来ましたが、信仰に入らない人が多くおられます。自分を改め直してみたいと思います。気付きを感謝します。
- 教会が「からだ」であることはわかります。キリストのからだであるということがまだよくわかりません。「からだ」は象徴的なものと決めつけることは正しくないでしょう。どうも困ったものです。「教会」は最も興味あることでしたので有益な講義でした。 今後、教会史の概観、教派の動きや違いなどについても触れてくだされば更によくわかりますが…
- 聖書のみことばの学びの重要さを確認しました。他の人に"伝える"ことの難しさを感じています。