レポート
5月9日に第29回ヨシェルの会が開催されました。出席者は17名でした。
今回のテーマは前回に引き続き「教会『キリストのからだ』-その2-」。
前回は教会の構成、その意味、交わり、教会選びの指針などについての講義でしたが、今回は教会の指導者の資格、霊的な覆い、教会内の一致などに関して熱く語ってくださいました。
先ず監督/司祭の資格に関して、Ⅰテモテ3:2-4のみ言葉を基に講義。聖書は指導者に対して非常に厳しい資格、資質を課しています。この箇所に記されている全ての条件を満たすことは不可能ではないかと思われますが…教会の指導者として相応しいかどうか、監督としての在り方を吟味する指針となります。
また、女性の牧者や説教者に関しては聖書にどう記されているのか。Ⅰテモテ2:8-14において、パウロはあくまでも彼自身の見解としてこの問題に言及し、神の創造の秩序に則ること、また当時受け入れられていた習慣や慣例を守るようにと勧めています。女性の聖職者の是非は差別、排他主義といった問題ではなく聖書解釈の問題として取り上げられています。教会での女性の姿勢に関してはⅠコリント14:34-40を通して、興味深く解説してくださいました。
次に、巷でよく言われている「霊的な覆いの元にいなければ、主にあっての働きや奉仕は無効である」という考え方にテーマを移します。果たして信徒やミニストリーに霊的な覆いが必要なのかどうか?天地の創造者なる神は全てのものに対する主権者であり、究極的な権威を持っておられる。そのお方が人々にも権威を授けられたと聖書は記しています。教会での霊的権威や牧者の権威、霊的覆いの概念などに関して聖書的な指針で語ってくださいました。
最後に聖書的な教会とは、1)互いに「共通の救い」を喜び合うことの出来る教会、2)会衆の一人一人が霊肉共に一致団結した教会、3)「聖徒にひとたび伝えられた信仰のために戦う」(ユダ3節)教会であると結ばれました。
キリスト者と教会。非常に身近であり、それ故に普段あまり深く意識しない傾向があるのかも知れません。本来の教会のあるべき姿を追い求めつつ、資料・音声を通して更なる学びをお勧めします。
感想
- 盲目的に教会に従うことがよいのではなく、よく見極める必要があることを確認できた。間違った権威的人間に従う必要はなく、キリストだけが長であり、ほかの役割を担っているものは並列であると知って不必要な重荷が下せて感謝だった。 教会に必要なものは、メンバーの謙遜と霊の一致であること、特に一致して祈り神に訴えることが大切であることが強く心に残っている。
- 霊的な権威者に従うことや霊的な覆いに関してはいろいろな疑問が心の中にありましたから、今回の学びはとても役に立ちました。人間的な権威を必要以上に恐れることもなく、かといって否定するのでもなく、先ずは何よりも頭なるキリストを求めていきたいと思いました。それぞれに与えられている役割を果たすことが大事ですね。
- 教会はキリストのからだであり、キリストはその頭。各器官である私たち、一人ひとりが自分自身を吟味し、他の人の良い面を見て、それぞれの与えられた賜物100%周りの人達に伝えることが大切ということは頭ではすでに理解していても、実際どれだけ出来ているだろうか・・・とふりかえった。 「共通の救い」を互いに喜び合い、この喜びをまだ知らない人達に伝播していく場となるよう願います。
- 2回にわたり「教会」を教えてくださり、感謝します。「権威に従え」には疑問を持たざるを得ません。祈りを教えてもらってありがとうございました。 然し、「教会」がキリストのからだという、そのことはまだまだよくわかりません。
- 今日は特に教会においての女性に関してのお話が面白かったです。どちらかというと裏方の奉仕が多いですが…女性なくして教会は成り立たないというのは本当だと思います。勝手気儘なやかましいものではなく、むしろ教会を建てあげる存在としての役割を担いたいものです。
- あまり普段意識しないテーマだったので、詳しく学ぶことができたのは良かったです。実際的ではありましたが、生活の中では優先順位がどうしても下の方になりがちなテーマなので、今日の学びを忘れないようにしたいと思います。
- 分かり易かったです。ありがとうございました。