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第66回 使徒パウロの宣教 その30

レポート

12月8日に第66回ヨシェルの会が開催されました。出席者は20名。

コロナ禍第三波が懸念される中での学びの場、再開後4回目です。不自由さと不安を身近に感じながらの日々、パウロからの生き方指南が続きます。何度も何度も表現を変えつつ繰り返されるテーマ、「罪にとらわれるな」。前回の信仰義認の説明からもう一歩進んで、私たちとは一体何なのか、私たちのベースは何なのか、神との和解や平和とは何なのか、それらはどうやって手に入れられるのか。信仰に生きていく旅の「巡礼ガイドブック」と言えるのかもしれません。語られる師と参加/視聴して下さる皆様と主の導きに、只々心から感謝します。

今日のタイトルは「使徒パウロの宣教 その30」。聖書箇所は、ローマ人への手紙5〜6章。

全体的には、「このように向き合いなさい…」というパウロからの命令調の言葉が多い印象です。でもその言葉の根底に、私たちの目の前に広がる「困難」の本質をきちんと見据えた上での励ましが随所に垣間見えます。パウロ自身が、苦しみの経験をどのように克服してきたのかを織り交ぜながら、道を示してくれます。それは一言で言えば「眼の前の困難ではなく、あなたに語られた神の言葉を信じなさい」。そこにこそ希望があり、困難を乗り越える力がある、と背中を押されます。

信仰を持つことで始まる「巡礼の旅」が最初に語られます。困難、忍耐、品性、希望。「聖め」のプロセスが何度も何度も誰の人生にも繰り返され、それぞれが主と向かい合うに相応しい姿に「聖化」される様が浮かびます。多くの困難にさいなまれたパウロが語るからこその重みもあります。

神のアプローチの特異性も語られます。指示に従うから救うのではない、苦行を積んだから救うのでもない。「敵」を救うこと自体が最初からの目的なのだと改めて教えられます。弱い者、不敬虔な者、罪を犯すもの…神は、そんな私たちを救いたいという強い想いにかられています。

私たちは、罪を犯したから罪人なのではなく、そもそも罪人であるから罪を犯すという前提に立っています。つまり私たちは生きる限り罪を犯してしまう。そして神の側にも制約があります。神は「義」です。だから「不義」とは絶対に相容れられない。それでも「(神と人との)和解」を成就したい。

そして神の選んだ方法は、永遠のなだめもの、あるいは贖い主。つまりは御自分の一人子イエスを、私たちに捧げることでした。人の罪が累々と重なり合うのであれば、一時的な犠牲では追いつかない。永遠に効力を保ち続ける「贖い」が必要です。だからこそイエスは死から蘇られ永遠の命をもつ必要があるのです。そして、それこそが、私たちにも永遠の命が与えられる保証へと続きます。

アダムによって入り込んだ「罪」と「死」。それをイエスによって「義」と「(永遠の)命」に大転換するという究極の救済手段。ただ信じて進むだけ、パウロは自分の人生を振り返るように伝え続けます。ときに左右にそれ、罪が足に絡みつき、時に罪の中に安住したくなる誘惑、疲れ倒れそうになる日々の葛藤。そんなことは知っているよ、私もそれらを経験したから。でも大丈夫。信じて求めて進みなさい、驚くばかりの恵みが待ってるからね。硬い文体の行間にパウロの笑みが見えるようです。

アダムから流れ続ける罪の血脈、イエスによって大転換された義の道筋、そしてそれを信じる者たちの従順さが義を広めていく任を負う。目の前の困難が少し小さく見えるような、壮大な眺めがそこには広がっています。それこそが「希望」なのでしょう。

私たちを救おうとする壮大遠大なこの計画に驚きと感謝を持ちつつ、学びを続けたいと思います。信仰者にとって大切な警告も示唆もアドバイスも、今回もたくさん語られました。音声動画・資料を通して更に深くお学び下さい。

感想

  1. 質問者に答えて、「聖霊について教えられていなければその働きを発揮するのは難しい」というお話がありましたが、パウロがキリスト者とはどういう存在であるかをしつこい程に繰り返すのは、受けた恵みがどれほど力あるもの、栄光に富んだものかを知らないでは神の与えたい解放も平安も希望も力も十分に受け取れないから。キリストの贖いによって受けた救いと聖化の過程を内なる聖霊が力強く導いてくれるのだから、「罪の支配にゆだねてはいけませんよ、義の器として手足を神にささげて生きなさい、清潔を目指して進みなさいよ」と意志を用いてみことばに従順するようパウロから語られているように思いました。感謝です。

  2. 今日も内容の濃い学びを有り難うございます。
    パウロが繰り返し何度も語らなければならないほど、私たちは自分の感情や感覚、経験、過去の記憶を通して信仰を捉えてしまいがちだという事。 御言葉にたって信仰義認、神との平和、聖め、聖化などなど…学べば学ぶほど内住のキリストが働き輝きだすために私たちの成すことは、自分に死ぬことであり古い自分が自分を支配することのないように、イエスキリストにすべてを委ねることだと、改めて今日もまた、強く心に迫ってきました。

  3. 今回も丁寧に大切なことを教えてくださり感謝します。 「神との平和」がキリストによって確立されたということは、信仰者にとっての大いなる恵みであり希望だと思いました。特にコロナの感染拡大による、見えないものに対する恐れや不安が募る現在、「死」は大きな課題です。「自分は神と和解できている!」という確信こそが真の安心・平安につながります。信仰者はもちろん未だ信仰を持っていない人も、全ての人がこの神との平和を持ってほしいと切に願います。 患難はそう簡単には喜べないのが現実です。しかし、成熟の過程を経た最後の産物は「希望」であるとのみ言葉を信じて、主により頼みつつ歩み続けていきたいと思わされました。

  4. 救いは信仰によるという「信仰義認」の教理がいかに大切であるかを、今日も改めて実感させられました。そして罪赦されたものとしての新たな歩み、霊的成長のためには聖めの過程が必要であるという教え。6章のはじめの「救いの時制」に関しての教えはとても興味深かかったです。罪の力が強く働いているこの世にあって、日々、死・罪に対する勝利宣言をしながら歩んでいきたいと思います。

  5. いつもたくさんの興味深い学びをありがとうございます。講師のブレることのない信仰、熱心さに心打たれます。

  6. 順を追って話してくださり、理解することが出来ました。ありがとうございます。