レポート
第62回ヨシェルの会のメッセージ。今回もネット配信の形でお届けします(2020/08/02収録)。
ある意味、パウロの宣戦布告と戦い方の指南書のような箇所です。コリントの置かれている状況とパウロの立場や想いを考える程に、記述されているよりも多くの学びが詰まっている様に見えます。一見パウロが、怒り心頭の末に自分の足跡を語っているようにも見える箇所も、神が如何に多くの恵みで守っていてくれているのかがテーマで、それと同じ思いでパウロはコリントのことを想っていると語っています。その赤裸々さは、諸々の関係性が見えると、多くの方にとっては、今まで読んで分かっていた気になっていたものとは、別の学びをする機会となるように思います。語られる師と参加/視聴して下さる皆様と主の導きに、只々心から感謝します。
今日のタイトルは「使徒パウロの宣教 その26」。聖書箇所は、前回からの続き、コリント人への手紙 第二の11〜13章。
基本的な構造は、下記の三者間の対立で、パウロが信徒に「しっかりしろ/目を覚ませ」と語っている形式です:
- 間に揺れ動くコリントの信徒
- 大使徒(偽物&サタン側)
- パウロ(神側)
パウロが建てた教会の信徒たちが、徐々に「大使徒」の策略に乗り、搾取されているのが現状。パウロがコリントに依存せず自活しているのを何度も書いていたのは、コリントの経済を圧迫している「大使徒」に対する抵抗だったのですね。そしてその状況に対して、パウロは信徒たちに「本当によく耐えているね」と、優しくも皮肉を伝えます。この聖句が皮肉であることも驚きですが、その忍耐は間違っているよ、というのが真意だと学ばされます。柔和と弱さ、力と高ぶりを勘違いせず、両者の違いを見抜いて戦わないと駄目だと鼓舞しているのだと。
サタンの手口(疑問を抱かせる/真理を否定する/置き換える)を紹介し、見抜くのが難しいことへの理解も示されます。サタンは、創世記の時代からこのことに長け鍛錬を惜しみませんでした。巧みなのは道理です。でも、パウロがコリントの人々に対して熱い想いを失わないのも、神が創世記からずっと変わらず成してきたことの写し鏡です。言葉の端々に現れる「心配」が、子どもたちを過保護に思う親のようにさえ見えて来ます。
そして次に、「大使徒」達が偉さの根拠にしてきた「実績」を打破します。パウロほど苦難の道を歩いてきた者もいません。過酷な足跡を一つずつ言葉にしながら、パウロはどれだけ自分が守られてきたかを再認識している感さえあります。私は全然偉くなんてない、全部成したのは神様です、という叫びが聞こえてきます。そして、そこまで分かっているパウロにさえ、傲慢にならぬようにと「とげ」が与えられていることにも触れます。
終末期を意識しないではおれない現代。私たちを惑わせる「大使徒」はすぐ近くに居ませんか?、変に分別くさくなって悪と戦わず妥協していませんか?、溢れんばかりの恵みを勘違いして高慢になっていませんか?…学びの中から多くの問いが頭に浮かびます。
祈りの答え/応えが届かない理由にも触れます。それは神と私たちの間の「天」にサタンがいるのでは、という見解です:
- 第一の天:人に見える「天」(第三の天へ祈りを捧げ、応答を待つ)
- 第二の天:制空権はサタン(通過するものを尽く邪魔する)
- 第三の天:神、パラダイス(祈りを待ち、聴き、応答する)
聖書で語られていることを全部理解することはできませんし、天井でも驚くばかりの答え合わせも楽しみです。でも今回最後に強調されたのは、「一人では戦えない」というポイントでした。パウロにとってのコリント、コリントにとってのパウロ。私たちにも支え合う祈りの同胞が必要ですね。
信仰者にとって大切な警告も示唆もアドバイスも、今回もたくさん語られました。映像・資料を通して更に深くお学び下さい。
感想
- 「神の熱心をもって、 熱心にあなたがたのことを思っている」11:2と聖書に書いてありますが、学びを通して贖い主なるキリストと我が子のような教会に対するパウロの赤裸々な熱い愛が伝わってきました。パウロが伝えなかった別のイエス、異なった霊、異なった福音によって我が子を惑わし、食いものにしようとする偽物から、なりふり構わず愚か者になってでも守り切りたい!確かに本物の愛ってカッコよくないですよね。
一方で、パウロは悔い改めのない罪は容赦しないとも書いています。自分自身の信仰を吟味し、右にも左にもそれない完全な者になり、神との交わりに生きるよう命じています。愛するが故の弱さと強さ、今回は人間パウロを身近に感じることになりました。そして、パウロを通して神の熱い愛をもらいました。感謝します。 - 第Ⅱコリントの手紙を通し、パウロの人物像がより具体的に身近に理解できるようになったことは大きな恵みでした。偉大な使徒パウロが自分を誇るのではなく、自分の体験を証しする。信徒たちが信仰にしっかり立ち、成長するためにはどう語るべきか。心を砕き、労し、導いた様子は人間味あふれ、興味深いものでした。 パウロの生きざまを通して、完全に神に信頼し、全てを委ね、捧げ、神の愛、力、平安、安息とはどういうことかを学べたことに感謝します。
- パウロは諸教会の信徒の信仰を築き上げるために、自分の全てを献げた。その労苦、重荷、ストレスある日々・・・状況に応じた知恵ある対応、仕える姿に、キリストの愛が胸に迫りました。「私は、今ちゃんと信仰に立っているか?」「キリストにあってふさわしくない思い、行動は自分の中にないか?」霊的成熟を求めて自分を吟味し、狡猾なサタンの策略に惑わされないように、妨害するものがいることを意識して祈る大切さを再認識しました。
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パウロはコリント教会の信徒たちにまるで自分の子に対するように諭し語りかけています。偽使徒たちによって惑わされ、利用され、搾取されているにもかかわらず我慢している信徒たち。パウロの嘆きと憤りを感じます。それにしても初代教会時代にすでにこのような偽使徒たちが教会を思いのままに牛耳っていたことに驚かされます。今の時代も同じように偽物が蔓延っています。「偽りの達人」であるサタンの働きには注意が必要です。そしてそのサタンの領域を突き破るために、信仰者に与えられている武具である「御霊による祈り」をしっかり用いることが大切であると強く感じました。
コリント人への手紙の講義を通して、人間味溢れている大使徒パウロに近親感を持つことが出来ました。たくさんの興味深いメッセージに感謝します。 また、コロナ感染予防に関してのビタミンDの情報にも感謝します。太陽の下、一日も早くコロナが収束しますようお祈りいたします。