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第73回 使徒パウロの宣教 その36

レポート

2021年7月13日に第73回ヨシェルの会が開催されました。出席者は15名。

コロナ禍による非常事態宣言延長が直前に決定される中、互いの距離を保ちつつ2ヶ月ぶりの再会の場となりました。人と人が集いにくい中、ますます混乱が広がる中、キリスト者としての歩みという「実践」について、ロマ書12〜13章を紐解きながら、私たちへのメッセージを探ります。語られる師と参加/視聴して下さる皆様と主の導きに、只々心から感謝します。

今日のタイトルは「使徒パウロの宣教 その36」。

ロマ書もいよいよ第三段落に入ります:

  1. 第一段落:1〜8章)罪からの救いの福音に示される神の義(理論/知識)
  2. 第二段落:9〜11章)神の民への約束と神の摂理に現される神の義(確信)
  3. 第三段落:12〜16章)信じる者の歩みに反映される神の義(実践)

神を信じる者の歩みを幾つもの側面から捉え直し、自分たちの日々の歩みの指針としようとする学びの場となりました。万人祭司という立場に立つ以上、自らの行動をも、ふさわしいのかと見つめ直すのは自然な流れ。未だ学びは続きますが、各人が各人なりの「示し」を得た時間となった気がします。

解説を聞きながら、幾つもの言葉が浮かんできました。

先ずは、「義務」「権利」「責任」の3つ。今自分が成そうとしている行動は、義務から来ているのか、権利から来ているのか、責任から来ているのか。更に、それぞれは、市民としての義務か、キリスト者としての責任か…。イエスの法にも神の摂理にも違わぬ歩みが、改めて励ましになることを知らされます。私達の日常の指針が、既にイエスの個々の言動で示されていることを再確認します。

そして、義務と権利と責任の上下に、「愛」と「欲望」があるようにも感じます。愛に基づく責任、欲望に基づく権利…。自分の行動指針の根幹を見誤らなければ、もっと平安に歩み続けられるのに、どうも揺れ動いてしまいます。この世における山程の誘惑の中、蛇に語られた言葉の罠を跳ね返せなかったアダムとエバを想います。

更に、行き当りばったり(成り行き)とデザイン(設計/計画)。ふらふらと左右に揺れるこの世に「調子」を合わせて行く人生と、きちんと確たる設計がなされた道を進む人生と。自分たちのアンテナがどこに向いているのだろうと自問します。

正論に囲まれるような圧迫感を感じると、「聖霊が傍に居るじゃないか」と声もします。生来の肉による行動規範でできないことは、聖霊が助けてくれるのです。そのために聖霊は片時も離れずにいてくれます。だからこそ頼って良いし、頼るべきなのでしょう。聖書は出来もしない無理難題を苦行のように行なえとは言いません。無理なことには助け手が与えられています。

賜物についても考えさせられます。賜物は決して自分ひとりのために与えられるものではない、共同体の成長のために与えられる。だから、アンバランスに一つの賜物が突出して与えられることもない。異言と解釈がセットになっているように、賜物と共同体とも対になっている。与えられた賜物や恵みを何のために誰のために使うのかと考えれば、神の摂理や計画も薄っすらとでも見えるかもしれません。必要なものは、必要なときに与えられる。焦らず疑わずに歩み続けることの大切さ。

それでも、迷うこと、怒ること、泣き崩れることは避けられない。波風のたたない人生は用意されていない。だからこそ、行動と祈りを立ち止まって再考したり、沈黙と盲従の間で悩んだり、私の怒りと神の怒りの違いに思いを馳せたりします。でもただただ我慢しろとは書いていない。だからこそ「行動/実践」にも光が当たります。蛇のようにさとく、鳩のように素直に行動する。

光の武具を身に着けてまで、沈黙し寝続けるのか。「未だ眠っているのか」と声がします。学んできた御言葉という武具をどう用いるか、「眠りからさめるべき時刻」に問われています。まだまだ道は続きます。信仰者にとって大切な警告も示唆もアドバイスも、今回もたくさん語られました。音声動画・資料を通して更に深くお学び下さい。

質問&回答

どうしたら自分の賜物を知ることができますか?
祈ってもなかなかわかりません。

御霊の賜物は、主にある共同体で共有するために与えられるのですから、 自分自身よりも周りの人たちによって発見されることが多いのではないかと 思います。

賜物は、聖霊体験によって与えられることは確かですが、 生まれつき与えられていた賜物がますます磨かれ、 主によって用いられるようになること、あるいは、 自分自身気づかず、眠っていた賜物が役立たせられる場合が 多いのではないかと思います。

よく、解釈上、御霊の賜物は九つ、というように限定して語られがちですが、 パウロ自身、手紙によってさまざまな表現を用いているように、 主によって共同体の益のために用いられる個々人の特性はすべて 「賜物」ではないでしょうか!

感想

  1. 世界のあちらこちらで立て続けに起きている災いを聞くにつけ、終わりの時が迫っていると 思わされます。講師が言われるように眠りから覚めるべき時がもうすでに来ているのだと思います。そのために必要な実践面についてローマ12、13章を語って下さり感謝でした。 実践をなすには神との対話である祈りの時間をもっともっと多くもたなければならない事、聖霊に満たされ、み霊に導かれて実践する事なのだと再認識しました。 「彼の頭に燃える炭火を積む」は良く理解できない聖句でしたが、エジプトの悔い改めの表現儀式との説明に納得できスッキリしました。感謝です。国の指導者のために祈るポイントも心に残りました。

  2. 信仰者が互いに愛し合う姿を通して、賜物を用いて神と人に仕えることを通して、神の義が現されるように実践しつつ、この世で生きて行く方向が示されている。祈り無くして、聖霊の助けなくして、心の一新無くしてどこまで行えるのか。旧約の律法の意義のように、このようなパウロの指針に示されて自分の状態を知ることになり、反省と励ましを頂いた。学びに感謝します。

  3. 緊急事態宣言が出ている中、先生も遠くから来てくださり講義してくださり、ありがとうございました。12:19「あなた自身で復讐してはならない」というみ言葉を思い出し、ただただ黙ってしまうことも多く、後で悶々としていたのですが、“神の怒りのための余地を残す”のであれば、NOをNOときちんと言ってもいいと分かりすっきりしました。

  4. 12:3 「私に、自分に与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います…」この恵みは共同体のために使うことであり、賜物を生かす方法はこれのみである。それは信仰に結びついているのですね。ローマ12章の内容の充実、満たされたパウロの話を聞く心、霊が充たされます様、祈るのみです。やはり宝のルツボですね。久しぶりのこの会を、有難うございました。

  5. 今回もたくさんの興味深い解説を聴くことができて感謝でした。特に12:19-20の“復讐”及び“頭に燃える炭火”に関しての説明がとても新鮮でした。悪に対しては妥協するのではなく、きちんと正しいことを主張し抗議することが大切。そして人に対しては愛の行為を行う。なかなか難しい事ですが、信仰者として心に留め、実践していきたいと思わされました。また、繁栄は努力(勤勉)なしではあり得ないという言葉、心に響きました。 世界が混沌として来ているこの時代、国のリーダーの為の執り成しの祈りの大切さを痛感させられています。

  6. ローマ12、13章、再確認させていただき、目が覚めた思いでした。

  7. 今日は久しぶりにヨシェルの会に出席できて感謝でした。学べることは嬉しいです。

  8. ありがとうございました。よく解りました。