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第74回 使徒パウロの宣教 その37

レポート

2021年8月10日に第74回ヨシェルの会がネット開催されました。

コロナ禍・非常事態宣言下・オリンピック開催という人類未踏の状況の中での、聖書の学びの場となりました。「パウロの福音書」とも思えるロマ書の最後の三章を、愛の実践という観点で、この時代に生きる私たちへのメッセージを探ります。語られる師と参加/視聴して下さる皆様と主の導きに、只々心から感謝します。

今日のタイトルは「使徒パウロの宣教 その37」。

使徒の働きからロマ書へと移ってきましたが、いよいよロマ書ともお別れです。前回もロマ書全体を俯瞰しましたが、再度違う言葉で教えられ、驚かされました。

  • 第一段落:1〜8章)信仰
  • 第二段落:9〜11章)希望
  • 第三段落:12〜16章)愛

「大切なもの」として掲げられている、この三つの言葉が、そのままロマ書の骨格だったのですね。言われてみれば、なるほどと思いつつ、改めて全てが一人のお方によって書かれている「秩序」を感じます。どの言葉も、どの教えも、どの物語も、一つのことを伝えている…聖書の唯一無二の重さです。学べる恵みの重さも感じます。

信仰の弱い人(”掟:おきて”に縛られる歩み)について、救いと報酬(相続と共同相続)について、愛の実践について、お世話になった方や想いを綴りたい方々への挨拶。視点は次々と移り、聴きながら、時々過去のお話しだと思い、ときおり現在の状況が重なり、明日の自分たちの生活へと想いを巡らせます。

信仰の弱さとは、信仰を別の何かの「形」で置き換える状況なのかもしれません。しきたりや掟、ルールや律法。これさえ守っていれば私は立派な信仰者だ、逆にこれを守れない者は失格者だ。「形」はそうしたものだけでなく広がります。習慣、建物、人…。安息日が絶対だ、この教会(堂)が最高だ、この牧師でなければ駄目だ。私たちは何に繋がって祝福を感じていたのかをすぐに忘れてしまいます。個として神と向き合う重要性と、聖書の禁じる「偶像」はすぐ傍にいることを考えさせられます。

信仰の弱いものと歩むことは、自分のことだとも学びます。歩む側としても、歩んでもらう側としても。最後の長く続く挨拶にも繋がりますが、パウロ自身が多くの方と共に歩み、支え支えられて来た歴史が見え隠れします。重厚な理論派と思われがちなパウロが、こんなにも支えられ、それにこんなにも感謝をしている事実。それが聖書の書かれた歴史を紐解く鍵となり、聖書研究も進む。歴史がこんな風に愛と感謝の繋がりだけであれば、どんなに素敵な人類の歩みでしょう。

「愛とは忍耐である」「愛とは犠牲である」。そんな言葉も出ます。聴きながら、「愛とは技術である(フロム著「愛するということ」)」も思い出します。自分の持っている自由という「権利」を、どう使うのかという観点で二つの言葉は似ています。前者は隣人に配慮し敢えて権利行使しない「姿勢」を説き、後者は技術である以上「習練」しなければ向上しないとします。どちらも日々の生活での実践で問われます。

コロナ禍で、「三密(密集/密接/密閉)」を避けるべきとされる現在、個の強さと他への配慮が、この実践の中でますます試されます。神の御計画は分かりやすくは見えません。どこに向かっているのかも不安に迷います。でも終焉が近いだろうことは、信仰者だけでなく多くの方々が、心のどこかで感じているように思います。それも今までになく深く強く。

パウロが延々と感謝と挨拶を書き続けたかったように、天の御国では、神が延々と歓迎の言葉をくださるかもしれません。地上での歩みの全てを見て下さっている方が、「よくやった、忠実なしもべよ」と肩を抱いて下さったなら、私たちはその時何を想うのでしょう。「辛かった」でしょうか、「未だやれました」でしょうか。まだこの地での道は続きます。信仰者にとって大切な警告も示唆もアドバイスも、今回もたくさん語られました。音声動画・資料を通して更に深くお学び下さい。

※ 次回から一旦「使徒」に戻り、エルサレムへと向かいます、ご期待下さい。

感想

  1. 愛することの実践、信仰者の一致の重要性について教えられた。各人に与えられている自由の行使を、相手の立場に立ち平和と成長に役立つように用いること、互いの心を一つにし、声を合わせて神を礼拝することだ。そして、自分自身は神様との関係の中で与えられた確信に基づいて信仰生活を送り、他の人の信仰を尊重すること。16章からはそうして築かれたパウロの豊かな人間関係が伺える。私に与えられた人間関係を大切にしたいと思わされた。学びに感謝します。

  2. 先月から引き続き愛の実践について。他のキリスト者との関係においてどう愛を実践するか。信仰の根本問題でない場合は各自が心の中で主のためにどのようにすれば良いかを確信をもっていれば良いという事。だから他の人の確信について安易に批判すべきではなく、人のニーズが儀礼的な掟を優先する事であり、自分の自由を抑制してでも隣人を喜ばせ、その徳を高める。その模範となるのはイエスキリストであると示唆するパウロ。具体的な学びができ感謝します。16章にあるパウロの伝道を支えた人たちをもっと知りたくなりました。

  3. 新約聖書の中でも難解と言われているローマ書ですが、順を追って丁寧に解説してもらうことによって理解が深まりました。全体を3段落に分けると : 1-8章までは「信仰の教義」、9-11章までは「神の民には希望が残されているという神の摂理」、12-16章までは「愛の実践」。今回は最後の3章の講義で、特に他の人に対する愛の配慮、互いの成長に役立つことの実践、そして自我を抑える忍耐の行為の大切さを教えられました。他の人を裁くのに遅いものでありたいとつくづく思わされました。また、14:23「信仰から出ていないことは、みな罪です」とのみ言葉が響きました。「疑いがあるなら、やめなさい!」という原則に則って自分の行動を吟味する必要を覚えます。最後の挨拶文においてローマの信徒への感謝の意と心遣いを示すパウロ。彼の宣教の働きは多くの信仰者によって支えられ、祈られることによって拡大し、実を結ぶことが出来ているのだと知り、嬉しくなりました。今日の学びに感謝します。

  4. 講師の前置きで語られたメッセージに心から同意し、この国のための執り成しのお祈りの必要性を強く感じています。パウロは14:8で「生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです」と語っています。不確かな時代にあって、恐れに勝利する秘訣はキリストにある信仰と希望と愛。キリストの十字架の愛と犠牲によって、救いの恵みに与ったものとして、感謝を捧げ、また隣人を大切にし愛の配慮を心がけて歩んでいきたいと思わされました。 今回でローマ書の講義が終了。スタートから丁度一年ですね。毎回、丁寧にみ言葉を紐解いてくださり感謝しています。ありがとうございました。