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第80回 ヨハネの黙示録 その2

レポート

2022年2月8日に第80回ヨシェルの会がネット開催されました。

コロナ禍がむしろ定常的な状態へと落ち着き始めているかのように思える日々が続いています。感染者数は一気に増加し、このヨシェルの会も急遽ネット開催とさせて頂きました。そんな不安の中、学ぶのは黙示録二章〜三章22節。七つの教会に宛てた手紙の最初の四つを考察します。教会史を時代順に追いつつも、時代を越えた普遍的な警告。語られる師と参加/視聴して下さる皆様と主の導きに、只々心から感謝します。

今日のタイトルは「ヨハネの黙示録 その2」。

教会に宛てた七つの手紙。もちろん各教会のメンバーに宛てたと分かりつつも、ついつい自分に宛てられたものとして読んでしまう箇所です。神の立ち位置から称賛叱責までが簡潔に書かれてあり、文書構造(パタン)が基本的に同じなので比較もし易く、誰もが陥りがちな部分が突かれているためでしょうか。自信がなくなったり、辛いときに、何となく読み返したくなる箇所でもあります。

今回学んだ教会は(括弧内は都市名の由来、矢印の後ろはキーワード):

  1. エペソ(最愛の人) → 初めの愛
  2. スミルナ(没薬) → 死と復活(忍耐と豊かさ)
  3. ペルガモン(結婚 / 昇格) → 混在、この世との結婚
  4. ティアティラ(いけにえの継続) → この世との妥協、迎合

基本の文書構造(パタン)は、七区分(挨拶 / 称号 / 称賛 / 非難 / 勧告 / 訴え / 確証)。この順番については、最初の三つと残り四つでは差異があり、「非難」がないなど「欠け」も混じります。順番の違いは、今尚我々が問われているかどうかという観点で説明がつきます。更に、初めの三教会は「外からの攻撃」の色合いが強く、後半四つは「教会内部の問題」という分類もできそうで、問題がより内面的な方向に進んでいることを示唆し、終末期の荒れる状況(「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えます」マタイ24:12)にも重ね合わせてしまいます。

教会の名前は、都市の名前であり、その由来がその手紙のテーマになっていて、政治・経済・宗教など何で栄えていたかなどの背景もテーマに絡んでいます。いずれの都市も手紙の集配所というコミュニケーションの要となっていたという共通点が興味深く、手紙がメールやSNSに代わりつつある時代に「伝える」という意味自体にも関心が向きます。

教会の順番は、時代の変遷を示してはいますが、教会の成長記録としても見れるし、陥りやすい「罠」や「腐敗」の系譜にも読めるし、信仰者の「聖化」の道筋や注意喚起集にも映ります。信仰歴が長いほど、思い当たる事柄(人・組織・運営…)が多くありそうで、「原罪」の根深さや「後悔」など様々な想いに駆られる気がします。

コロナ禍と終末期。聖書にその二つを直接結びつける記述はなさそうですが、それでも荒(すさ)んでいく状況を見るにつけ、心は沈みます。でも、こうして黙示録を学ぶにつれ、全ては主の御手の中にあることを再確認させられます。主は全てお見通しだし、不安も混乱も全て想定内。苦しみがない訳ではないけれど、最後の祝福は揺るがない。不安がない訳でもないけれど、平安もしっかりある。信仰者の特権も再確認させてくれる箇所です。

終末期に入っていると思いながらの黙示録の学びは、判明した事実を一つひとつ重ね合わせていく作業に近いように思います。本当の答え合わせは、主にまみえる時であり、それよりも前に人間が語れるはずがないと思えるから。今分かっている情報を寄せ集め、見方を整理し、矛盾がないか検証し、また考える。なので、師が「考察」という言葉を使ったときに、逆に何かスッキリした気持ちになりました。理解し切る必要はない、ただ理解を深めれば良いんだと。

次回は残りの三教会。どんな方向に理解が広がっていくのか楽しみです。信仰者にとって大切な警告も示唆もアドバイスも、今回もたくさん語られました。音声動画・資料を通して更に深くお学び下さい。

感想

  1. 黙示録の最初に何故7つの教会への書簡があるのか今まで深く考えもせずにいました。終末の艱難時代を迎えるキリスト者にしっかりとキリストの教えに立ち返り、悔い改め、勝利を得る者になるようにと主なる神が書簡を通して詳しく、手を取るように語って下さっているのだと気づかされました。サタンの巧妙な理屈、理論で惑わされ騙されていく信徒たち。そこには真理が歪められ分裂がおき、主への愛、兄弟愛から離れ、真理から離れていく。サタンが初代教会からどのように深く入り込んで、現在の教会制度になったのかも知ることができ感謝でした。サタンの得意とする巧妙な手口、真理を歪める。今やそれを是とする世の中になっていると思わされます。勝利を得る者になるためには忍耐なくしてはないのだとも思わされました。

  2. 4つの教会に送られた手紙を詳しく学ぶことを通して、外からの迫害、内からの背教に導く異端者に惑わされる危険も迫る厳しい状況にある中、キリスト者が信仰を守るために向かわざるをえない困難や試練を身に迫るように感じました。しかし、いつの時代においても個々では弱い人間に方法を変えて巧妙にやって来る敵に立ち向かう為に、御言葉の学びで真理を見分け、主にある信徒の交わりを通して励まし愛し合い、キリストの贖いの死を覚えてパンを裂き、感謝と確信を持ち、祈りを通して力と導きを頂くことがどうしても必要なことであると再認識させられました。感謝です。

  3. 今回の学びでは、それぞれの都市の特徴やその教会の名前の意味とメッセージとの関連性への言及が興味深かったです。また、諸教会に対する警告から、初めは些細とも思われる偽りの教理や異端的な教えが、次第にはびこり拡大していくことの危険性、そしてそのこと故に、神からの非難や叱責をうけ、最終的に報酬を損なう結果となるということを再認識させられました。惑わしや偽りを警戒し、主の再臨の時を信仰と忍耐をもって待ち望みたいと思います。

  4. 昨今の世界情勢を見ていると、この世は明らかに終末時代を迎えていることを感じます。そして歴史や教会史を振り返ると、まさに黙示録に記されているとおりに時代が動いていることに驚かされます。日本ではまだ信仰の自由が与えられていますが、これから先は厳しい時代になることを覚悟しなければいけません。外からの圧力や迫害はもとより、教会内における惑わしや偽りなどとの闘いが激しくなる中、どのように備えていくのかが問われます。み言葉の学び、信仰者との交わり、キリストの贖いの死を覚えての聖餐、祈りの生活を規範とすることが大切。キリストの再臨信仰をしっかり握りしめて、最後まで信仰を守り通すこと、また勝利者として主に認めてもらい、約束されているものを手に入れることが出来ますようにと切に願います。貴重な講義に感謝します。