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第84回 ヨハネの黙示録 その6

レポート

2022年6月14日に第84回ヨシェルの会が開催されました。出席者は18名。

コロナ禍の陰鬱さが微妙に和らぎ、戦争が微妙に遠く感じられるようになり、物価や生活に直結する部分が少しずつ重くなりつつある中でのヨシェルの会です。今回は前回の「封印」に続く「裁き」に焦点が当てられます。破壊的な言葉や壊滅的な印象が増していきます。厳しい言葉の波にのまれて、何に備えるべきなのか、何を備えるべきなのかが霞んでいきます。湖上での「しっかりしなさい(マタイ14:27)」との叫びが聞こえる気もします。語られる師と参加/視聴して下さる皆様と主の導きに、只々心から感謝します。

今日のタイトルは「ヨハネの黙示録 その6」。

学ぶ聖書箇所は、ヨハネの黙示録8章から9章。七つのラッパの裁き。ラッパが吹かれる度に巻き起こる悲惨な状況に、ラッパに着目してしまいますが、第五のラッパ(第一の災い)から、その災いの「運び手」にも注意が必要なことに気付かされます。

「底しれぬ所(黙示録9:1)」からの使者、いなご。日本で生活していると、その脅威を感じることは、ほぼありません。そもそも、文字通りの昆虫を指すのか、それとも別の何かである可能性もあります。でも、人が造られてからの罪が、人の死と共に「地の底」に溜め続けられていたとしたら、そこから解き放たれたものの「どす黒さ」は、まさに「底しれぬ」ものかもしれません。

今回は前回よりも「救いのなさ」が増しましたが、解説を聞きながら安堵した部分もあります。神は「悪を持って悪に報いる」かの様に感じられた点です。これはIテサロニケ5:15で人には禁じられていますが、イエスは悪霊の頭だと罵られたとき(マタイ12:22〜24)に語った言葉は、悪霊の国の破綻は分裂と争いから起こると示唆しているとも読めます。この世を罠に陥れ続けた悪霊が、自ら仕掛けた罠にかかる様は、詩篇にも何度も描かれているものです。いずれにしても、地の底から来たものが、善をなす人たちにも、悪をなす人たちにも、平等に滅びをもたらすと考えるのには抵抗があります。良い麦を傷つけてしまわぬ様に毒麦をすぐに処理しない神(マタイ13:24〜30)は、この終末に、どの様に毒麦を集め焼かれるのでしょう(マタイ13:36〜43)。

人類が減らされているストーリーは、ハリウッド映画の陰鬱な映像の影響も相まって気が滅入ります。災害と災害との間の期間の長さも気になります。自分や家族や友の命だけでなく、日々の食事や衛生面も頭をよぎります。でも、黙示録を読むにつれ、自分でできることは殆どないと思わされます。そして道が二手に分かれます。どうなってもいいやと投げやりになるのか、切に祈ってできることを行うのか。

聖書は「祈り」の力強さを明らかに強調しています。神の御前に立ち上る煙となる祈り。聖書には、祈ること以外何もできない状況に陥った「英雄」たちが沢山います。切なる言葉は、賛美と重なり、嘆きの言葉は理解が進むに連れ胸を押しつぶしそうに迫ります。人にまで響くのなら、いわんや神にも。

黙示録は災禍の酷さを伝えるものではなく、祈りの大きさを描いているものかもしれません。それを何処まで信じ切れるのか。神からの問いも降り続きます。信仰者にとって大切な警告も示唆もアドバイスも、今回もたくさん語られました。音声動画・資料を通して更に深くお学び下さい。

PS.
実は今回は冒頭に、前回での質問と解釈の訂正がなされました。私は、聖書解釈の訂正の場に居合わせたことは初めてで、少し驚きました。時が迫っているが故に、時間の経過とともに明らかになることが増え、確度が上がっていく時代に突入している実感。更に、牧師が自説を訂正するというのは、多くの場合、公然と言うことではなくひっそりとします(笑)。だからこそ、この「ヨシェルの会」という学びの場の貴重さ自由さを感じます。皆が考え、疑問を発し、更に考え、預言に近づく。神が本当に伝えたいことに一歩でも近づく。信徒の自律性…万人祭司。向かう先に光が見える気がします。

また、いつもより少し時間が短いのは、学びの後にスモールグループに分かれて、参加者同士の想いを共有する時間を設けたからです。学んだものをどう伝えるのか。参加者全員が抱えている疑問もあります。解決はしないかもしれませんが、そういった面でも少し試行錯誤を重ねてみようかと思っております。ご興味がある方は、是非ご参加下さい。

感想

  1. 主の再臨を迎える為の軽い陣痛は既に始まっていて、コロナ禍で世界的な混乱に陥った2020年以降は最終段階に入ったと言えるとのことですが、今後に成就する終末預言は出来事や時系列が重なり合い、分かりにくいとのこと。今回の学びを終えて、当時の人々とは比べられない軽さではあるにしても、私は大国ローマの支配下にあり先が見通せない鬱屈したイスラエルや離散したキリストの群れが、主の再臨はいつになるのかと待ち望みつつ、週毎に集まってみことばを聞きパンを割いて励まし合って過ごしていただろうと思われる少し重い心境になってしまいました。ですから、残された使徒達の手紙や福音書のキリストのことばを今一度読み返してみたいと思います。学びを感謝します。

  2. 今日も丁寧な御言葉の解き明かしの講義に感謝します。封印の学びからラッパの裁き。学べば学ぶほど恐ろしい現実がそう遠くない未来におきることを聞き、「目を覚ましていなさい」と告げられたように身が引き締まる思いがしました。主に聞き従い共に歩むなら、主の守りがいつもあること。この書の預言のことばを堅く守る者は幸いであると約束して下さってることにも思いがいき、感謝でした。講義後のミーティングも交わりを深められ良かったです。

  3. 黙示録の8章は自分で読んでも理解できない所がたくさんありましたが、今日の講義で紐解けた所が多く感謝です。聖書を開いて時間をかけて学び直そうと思います。終末に近い今、何をすべきであるか、主に聞いて歩みたいです。ありがとうございました。

  4. 今日の学びありがとうございました。何回か聞かないと理解できないので、ユーチューブで繰り返し学びたいです。話し合いは良かったですが、時間のこともあり、先生の講義をもっとお聞きしたいです。有益な学びでした。厳粛な気持ちになりました。

  5. 久しぶりの参加でとても刺激を受けました。聖書と現実を合わせて(一致させて)学ぶ大切さを改めて感じました。日本だけでは得られない情報は欲しいです。

  6. 今回は七つのラッパについての学びでしたが、ラッパの前に天で起こる半時間ほどの静けさに関して注意がいきました。地に対する裁きの前の沈黙、静寂さ。それは聖徒たちの祈りを聞くためだという。全世界の人々の救いを求める祈り、殉教者たちの義なる裁きを求める祈り、聖徒たちの執りなしの祈り、弱き者たちの助けを求める泣き叫びの祈り…それら全ての祈りが終結されて神の御前に麗しい香として捧げられ、受け入れられる。そして次の瞬間、香炉が地に投げつけられ、全地の揺るがしが始まり、大災害が起こる。その情景を思い描きながら、不思議と創世記の始めを思い起こしました。神の発せられる言葉によって、混沌から秩序だった美しい世界が創り出されていくわくわく感。何という喜びでしょうか。しかし、今度はそれとは逆にラッパの音が鳴るごとにこの世界が次々と破壊へと向かっていく。しかも一旦始まったらもう後戻りすることはない。まさに自分たちが今その入り口に来ていることを思わされ、厳粛な思いにかられます。このような時に何をすべきなのか、何が出来るのかを考えさせられています。神のみ前に静まり神の警告に耳を傾けることの大切さを思います。最後までしっかり神に繋がり続けることが重要であるという講師のことばが心に残りました。貴重な講義、ありがとうございました。

  7. 七つのラッパの裁きでは災害の度合いが加速化し、悲惨な状況になるにも関わらず、人は頑なで悔い改めることをせず、むしろ神に反逆する。人の中にある罪の性質の執拗さと悪霊の働きの激しさに悔しさを覚えます。最後まで信仰を持ち続けることができるよう、主に心を見張ってもらいたいと思います。講義の後のスモールグループに分かれてのディスカッションでは、他の方々の意見を聞くことが出来てとても有益でした。ただ、今日は講義の時間が短く感じられたので、次回からはもう少し長くして欲しいと思いました。ありがとうございました。