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第82回 ヨハネの黙示録 その4

レポート

2022年4月12日に第82回ヨシェルの会が開催されました。出席者は14名。

コロナ禍も戦争も終わらないまま、春の陽気と季節外れの寒さの入り乱れる不安定な気候が、より一層不安感を煽ってくるような日々が続きます。いよいよ「この後必ず起こること(黙示録4:1)」についてです。不安が増すほど、確かなガイドが必要になります。耳を傾けるべき言葉を漏れ落とすことのないようにしたいものです。語られる師と参加/視聴して下さる皆様と主の導きに、只々心から感謝します。

今日のタイトルは「ヨハネの黙示録 その4」。

学ぶ聖書箇所は、ヨハネの黙示録4章から5章14節。7つの教会への言葉が終わり、視点が「過去」「現在」から「未来」へと移ります。ヨハネの前には新しい「場」が広がり、奇妙にも見える登場人物たちの描写に気を取られているうちに、「巻物」が見えてきます。7つの封印が施されたその巻物を開くにふさわしい者を求めて、ヨハネが号泣します。その涙への慰めが語られ、封印を解く者が、満を持して登場します。

内側にも外側にも字が書かれ、封印された巻物。文化的民族的知識が乏しい故に、この巻物の記述を目にしても、悲しいかな何もワクワクもハラハラもしません。そこが異邦人が聖書を読み解く上での圧倒的に不利な部分なのでしょう。

たとえば、多くの日本人なら「本能寺」や「平家と源氏」と聞けば、お寺の名前以上の想い、一族の名前以上の何かを連想するように、この巻物の描写を読むだけで、ユダヤの人たちには想起されるものがあるのでしょう。だから巻物を解くに相応しい方への「待ち遠しさ」も、私たちが想像できない(泣き出す)ほど深いものなのかもしれません。

更に、この巻物が「遺書」や「権利書」に当たるものだと解説が続きます。単なる慣習や規則を超えて、理屈で考えれば理解できそうな事柄で説明がなされます。神はいつも、いきなり始めません。何かしら予兆を見せます。何かしら予告編をそれとなく匂わせます。封印された権利書。そこまで導かれたなら、幾つかの疑問が浮かびます。何に関する権利だろう、それを解く者にはどんな権利や権威があるのだろう。読み手の想像力の少し先に甘い香りのする「誘い水」が置かれているかのようです。

不当に占拠された土地の正統な後継者が、正当な権利書を手に、諸々を整えるために帰ってくる。学びながらそんなシーンが脳裏に浮かびます。そうか、あの方が”取り返し”に戻ってくる…。正統な後見人の説明で、ルツ記とのつながりも見えてきます。ルツ、ボアズ…ダビデ…マリア、ヨセフ…イエス。マタイの福音書の冒頭の系図すら、意味深さを増します。

実は、この学びをしているのは、2022年の受難週から復活祭(イースター)の間です。少し気になって、エマオへの途上(ルカ24章)も読み返していたのですが、興味深いことに気が付きました。エマオとは「温かい井戸」という意味があり、「彼らは目的の村の近くに来たが、イエスはもっと先まで行きそうな様子であった(ルカ24:28)」とあります。ラオデキアの教会が「なまぬるい」と叱責された後に、今日の箇所(黙示録4)が続きます。人々が”なまぬるい”教会を目指していようが、イエスはその先に進もうとする。しかし、人々が乞うと食事を共にし、人々の心に再び燃える炎を灯します。まるで黙示録の予告編のようにも見えてしまいます。

黙示録は、この後ますます暗く辛い場面へと進みます。しかし、これから起こる艱難の目的は警告と導きであり、滅亡ではありません。読み進むにつれ、聖書の諸々の箇所が有機的につながって行く予感がします。終末が近いからこそ、そのつながりがリアルに感じ取れるかもしれません。主がエマオへの途上で説き明かしてくれたように、学びは続きます。信仰者にとって大切な警告も示唆もアドバイスも、今回もたくさん語られました。音声動画・資料を通して更に深くお学び下さい。

感想

  1. 4、5章には、死に至るまで従順し神のみ旨を成し遂げて屠られた姿の小羊が、御座に座る方から巻物を受け取った瞬間に、天では生き物、長老、おびただしい数の御使いによる小羊を賛美する「新しい歌」が歌われ、皆がひれ伏し拝む場面が描かれていました。場面は新しい展開に入り「この後に必ず起こること」はまだ始まってもいないけれど、バトンが小羊に手渡されたときの描写にまるですべてが成就したかのように心が躍りました。封印が解かれてゆく6章以降の読み方は描写や構成が複雑なようなので、解説をいただきながら注意深く学んでいきたいと思います。

  2. 今日は絶望を抱くであろう艱難期6章以降を学ぶ前に4章5章を学ぶ。24人の長老がメルキゼデクに倣う祭司王であり天のビジョン描写を通して、希望、喜び、その素晴らしさを先に与え教えて下さる神の配慮に驚かされました。巻物については更に驚きの解き明かしでした。イエスがなぜ人にならなければならなかったのか。イエスがなぜ十字架にかからなければならなかったのか。それは巻物はこの世の権利書であり、人でなければ開けられない。アダムの子孫の指名された世継ぎで、買い戻しの権利のあること。アダムが罪を犯した為サタンの手にこの世の支配権が移り、その支配権を元の状態に戻すためイエスは十字架にかかり贖われた。巻物を解く時、神の奥義が開かれ事が進んでいく。究極的な謎を解き明かして下さり感謝でした。

  3. 3ヶ月ぶりの対面での講義、直接先生のお話が聴けるのはやはり格別で嬉しかったです。今回は信仰者が導かれる素晴らしい天の情景が描写されている4〜5章の学びでした。それは次にくる6〜19章(サタンに支配される地上の状況、神の裁きと怒りの描写)への備えのためであり、信仰者にとっては絶望ではなく、希望があるというメッセージに励まされました。封印を解く鍵となる「ユダ族の獅子」が実際には「屠られた子羊」であったことは、ヨハネにとっても驚きだったかも知れないと思いました。力強い王・神としてではなく、静かで従順、しかし毅然としている人間・神の子としてのイエスこそがその権利を有しておられる。巻物は「この世の権利証書」。アダムの罪によってこの世の支配権がサタンに渡されたのを、もう一度人間の手に取り戻す権利が与えられているのは、人としてこの地上に来られ、贖い主として十字架にかかってくださった神の御子イエスのみ。これまでは深く気に留めることもなく読み過ごしていた箇所が、今回は一旦立ち止まり、天のビジョンを自分なりに思い描くことが出来ました。受難週にこのような学びができたことを嬉しく思います。ありがとうございました。

  4. 今日の学びでは、この地上での恐ろしい出来事の前に天上での情景を映し出すことによって、私たちが未来の出来事に恐れ怯えることがないように、神さまが配慮してくださっているとの説明があり、この箇所に対する視点が変えられました。また、学びの最後に、今日世界で起こっていることに言及してくださり感謝でした。マスメディアからの情報だけで物事を判断するのではなく、聖書的に現状をどのように見つめ捉えたら良いのか、とても参考になりました。神さまの憐みにすがって、忍耐をもって執り成しの祈りを捧げていくことの大切さを実感しました。