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第91回 ヨハネの黙示録 その13

※音声は1時間12分あたりで工事音が入ります&資料は一部(「19:14」*)が修正されました(2/21)

レポート

2023年2月14日に第91回ヨシェルの会が開催されました。出席者は14名。

新しい年に入り、あっという間に一ヶ月が過ぎました。でも、災いが止みません。戦争も疫病も継続し、トルコ地震までもが心をも揺さぶってきます。経済に暗い影が広がり、道義的に今まで考えられなかったような事件が多発し、奢りも高ぶりも混乱も益々深まっていくかのようです。まさに黙示録で語られている世界が、こんなにもあっという間に忍び寄るとは想像だにしていませんでした。そんな心の緩みを突くかのようなことが語られます。信じる者たちが招かれる婚宴と、信じない者を待ち受ける報い。まさに天国と地獄の様相です。語られる師と参加/視聴して下さる皆様と主の導きに、只々心から感謝します。

今日のタイトルは「ヨハネの黙示録 その13」。

学ぶ聖書箇所は、ヨハネの黙示録19章10節〜20章15節。前半は前回のバビロン崩壊の喜びのあとの婚宴(再臨)、後半は千年王国末期のサタンとそれに従う者たちへの終わりなき報い。読むほどに「あなたはどちらに進みますか?」と問われている気がしてきます。

婚宴の華やかさや楽しさは余り多くは語られません。でも、厳かな中にも平安あり…そんな空間なのではないかと夢想します。そして、千年王国の話しへと続き、最後にサタンが解き放たれる場面とその後の描写に目が釘付けになります。

先ず、そこに至る場面設定の説明が必要です。神は、人間が生きている世界を中心に、上下二段階の構造物を用意しています。神の言葉を信じる者には、待合所としてパラダイス、そしてその先の天の御国。神を信じない者には、待合所として黄泉(よみ)、そしてその先の地獄。死んだ者は誰であれ、どちらかの待合所に通され、「その時」を待ちます。

そして待合所を出た者は、どちらに向かうにせよ「死なない体」が与えられます。どちらも人間には永らえられない世界が待っているからです。しかし、待っている世界は雲泥どころではない差があります。祝福が途切れない永遠の命と、苦しみの中で死ねない命。この両者の差は、生きている間の信仰の持ち方で左右されるのです。逆に言うと、それだけ「生きている間の決断」が大きなものだと言うことなのでしょう。

今回、現世と千年王国と新天新地も、同じ様な構造なのではないかと思わされました。千年王国は、実は「待合所」なのかもしれません。なぜ牢に封じ込まれたサタンが解き放たれるのか、ずっと理由が分からなかったのですが、熟成を待つかのような最後のテストかもしれないと思えたからです。

サタンもいない神の祝福だけに溢れた世界の中での千年間。それまでのサタンからの誘惑と苦しみとを受け続けた人間にとって、この期間は「比較」するには、絶好の機会です。逆に言えば、千年かけて比較しないと、心から神を信じているのかが分からないほど、「毒麦」は私たちを蝕んでいる可能性があるのです。

毒麦のたとえ(マタイ13:24~30)の中で、その分別が難しいことが綴られています。良い麦に混じり合った毒麦の「実」は、潜伏期間千年という疫病なのかもしれません。あるいは、それこそが「原罪」と呼ばれる、暗く深い根っこを持つ厄介なものなのでしょう。そして案の定、再びサタンに呼応する者たちが少なからず反旗を翻します。祝福に満たされた世界の何に不満を持つのだろうと思った途端に、エデンの園が頭に浮かびます。何不自由ない生活の中で、アダムとエバは神を裏切ったのでした。

私たちの奥底に根を張る「サタンの実」。私たち自身が不可思議に思う以上に、神が嘆きながら「帰ってこい」と、邪魔者を一掃する機会を整えています。日本では死んだ者は、誰であれ何を成したにせよ「仏様(ほとけさま)」になるように語られます。因果応報的な話しも聞きますが、死んだ後まで責めを負わせることは、優しさが足りないとでも言わんばかりの空気もあります。でも聖書は甘くありません。だからこそ、「今」の決断を求めてきます。黙示録も残すところ僅かです。信仰者にとって大切な警告も示唆もアドバイスも、今回もたくさん語られました。音声動画・資料を通して更に深くお学び下さい。

感想

  1. 預言の成就であるキリストが支配するメシア王国について、また神の国へまでの流れを再確認できました。キリスト支配の国では大患難で破壊された地が復興され、そこに第一の復活に与った者、目が開かれイエスをメシアと信じたイスラエル の残りの者、神に羊として分けられた者たちがいる。サタンが縛られ幽閉され平和と繁栄が続くが、まだ罪もあり産まれる者、死ぬ者がいて千年という期間限定である。その後解放されたサタンと惑わされた者達であるゴグ、マゴグがキリストに反逆し、天からの火で焼き尽くされる。千年が終わり第二の復活を伴う最後の審判を経て、遂に新天新地になる永遠の神の国へと融合される事などが整理され、第一の復活こそ最も幸いだと気付き、その恵みを語る働きの大切さを思わされました。学びに感謝します。

  2. 黙示録も終わりに近づき、今日は御国の到来、天では大群衆による神への賛美。神の裁きは真実で正しい!とほめたたえる素晴らしい喜びの章。それゆえに救われない者の最後を思うと心が痛い。本当に主を愛しているのかそうでないかを千年王国の最後の最後に人に問うために悪魔をしばらくの間解き放たれる。それは何故?神は人に自由意思を与え、自己決定できるように造られた。「主が言われたことを守ります」という決断。主を愛する決断をすることを神は望まれ人を造られた。決断させることのために誘惑があり、悪魔の役目?があるのかと、さまざまな思いが巡っていきました。今は恵みの時、福音を述べ伝える働きを再度促されました。学びに感謝します。

  3. 今回の学びではまず、地上の婚姻と天上での婚姻の違いを再度明確にしてくださったことにより、整理が出来て良かったです。また、神の国の樹立と特徴に関して丁寧に解説してくださったことで、確信が与えられ理解が深まりました。千年王国の終わりにサタンが解放されるということの意味も今日の説明で納得できました。罪・悪の恐ろしさと醜さ、その一掃がなされて初めて新天新地が到来するのだと…主の前に裁かれるものとしてではなく、祝福を受け継ぐものとして覚えられることは何という恵みでしょうか。願わくば愛する方々全ての名が「いのちの書」に記されていて欲しいと願い祈ります。

  4. どうしたらもっとイエス・キリストを受け入れてもらえるのか?伝えなければ…この世と調子を合わせてはいけないと思います。

  5. 信仰が与えられているということ、「いのちの書」に名が記されているだけではなく、「子羊のいのちの書」に名が記されているという恵みに心から感謝します。人には自由意志が与えられており、各々が決断する権利を有している。「人は救い主を拒むことによって自分を地獄に送る」。神は誰もそのような永遠の苦しみの場に行くことを望んではおられない。まだ選択の余地があるうちに救いの選択をして欲しい。執り成しの大切さを思わされています。