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第54回 キリストの啓示「この後に起こること」

レポート

11月12日に第54回ヨシェルの会が開催されました。出席者は20名。

久々の黙示録。前回は「第13回 終末論 その1 」なので、4年ぶりの終末論です。 前回まで20回をかけて、終末期という言葉を何度も意識しながら、パウロの歩みを学んできましたが、再度その意味を噛み締める時間となりました。語られる師と参加して下さる皆様と主の導きに、只々心から感謝します。

今日のタイトルは『キリストの啓示「この後に起こること」』。少し駆け足でしたが、細かく講義してくださいました。毎回そうなのですが、今回も、聖書自体を先に読んでから聴かれることをお薦めします。

テーマは、黙示録の解説。けれどコインの裏側的に、信仰者が何故今終末論を学ぶ必要があるのか、という裏テーマが見え隠れします。

言葉一つ一つに重い意味があり、その解説を聞く毎に、難解さを感じます。難解さが増し続けると、こんなことを何故知る必要があるのだろうという想いが浮かんできます。日々の営みとかけ離れた情景。常識では考えられない流れ。

愛の宗教だと言われている「キリスト教」、しかしここに記されている多くは「裁き」。終末論は、その裁きの最終章。しかも突然取って付けられたようなお話しではなく、一番読まれている福音書にも明確に冷酷に記述されている、聖書の根幹を成す大テーマ。

神は、悪しきものをそのままにはされない。必ず裁きを下す。それも約束した通りに。その約束が記されている。救いや恵みが、予め予告され約束されたように、全く同じスタンスで、神は我々人間と対峙されている。

その悲惨さは目を覆いたくなる、耳をふさぎたくなる。だからこそ、私達はそのようになってはならないし、知人をそのような場所に送ってはならない。同じ気持ちで、神はこの書をヨハネに書かせている。決して裁きを受けぬように生きよ。一人残らず救いたい。その悲痛なメッセージが、凄惨な裁きの場面の後に、未だ生き残る信仰者の姿に表されている。

知人がケガをすると分かっていたら、私達は何をするだろう。崖から転落することを知っていたら、どう止めるだろう。逆に、襲ってくる不幸を知らなかった時、何としても知りたかったと願わないだろうか。黙示録は、私達に多くを問いかけて来る。主は真顔で問いかける、私は多くを告げたよ、あなたはどうする?

愛が冷め、国と国が争い、民族と民族が対立する今。最後の時が近いと知らせる多くのサインが現れている現代。黙示録の時代となって、聖書の言葉は、清貧で慎ましく恵みの中でどう生きるかを示す書ではなくなってきているのかもしれません。いざという時に、盗人が突然襲いかかる時代に、主を信じる者が一人でも多く生まれることが、天では祈られている。それが私達が黙示録を学ぶ意味なのかもしれません。

信仰者にとって大切な警告も示唆もアドバイスも、今回もたくさん語られました。映像・資料を通して更に深くお学び下さい。

感想

  1. 黙示録を再び学べる恵みに感謝します。 講義を繰り返し聞くことによって、これからの世界情勢や自然災害をみ言葉である預言から見る視点を頂いてることに感謝します。又、大艱難の時、神の守りが約束されている事に、弱い信仰者としてはすがるような安堵を覚えました。来月も期待して参加したいと思います。

  2. 黙示録、何度か解説を聴きながらもやはり難しく、理解し難いと思ってしまいます。特にこれから起こりうることに関しては、正直言って怖いという思いが先にたちます。福音宣教の励ましと、艱難に備えるためのメッセージ…救われる魂が起こされますように!信仰に堅く立ち続けることができますように!主の憐みと守りに感謝します。 また、講師の熱意、貴重な講義に心から感謝します。ありがとうございました。

  3. 黙示録や終末論はどうしても想いとか血なまぐさいようなイメージが強いです。きちんと学べばとても興味深く面白いのですが、信仰のない人たちに説明する時に、難しくてやっかいな箇所です。自分でももっと勉強をして、難解さの奥にあるキリストの真の愛を伝えられるようになりたいです。

  4. 難しい理解しにくいテーマ、黙示録を開いてくださり感謝です。神に委ね信じていれば神が必ず執り成してくださることを知り、感謝にたえません。魂の救いの約束を再確認できました。

  5. 今日は期待して来ました。学びたい心はありますが、難しいので繰り返し学べればと、また、どう伝えていけば良いかヒントを与えられました。この時代だからこその伝え方があると思い、身内に話す機会が与えられるよう、祈りたいと思いました。

  6. 難しかったが家でじっくり調べて納得していきたい。宣教の難しさも覚えます。