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第22回 信仰生活

レポート

10月11日に第22回ヨシェルの会が開催されました。参加者は18名でした。

今回は信仰生活の実践編の2回目で「神の声の聞き方」について学ぶことができました。

先ず、神は今日も語っておられるのだろうか?という問いに対して:

4000年の歴史の中で神は聞き取れる声で人々に語られました。今日も神が語られるのは確かですが、それはみ言葉(聖句)を通してであり、また、思いや印象、出来事を通してです。聞き取ることのできる声はむしろ例外で、その場合は聖書に照らして吟味をする必要があります。

神の声、自分の声、サタンの声…私たちはどのようにして神の声を聞き分けることができるのでしょうか。

サムエルが祭司エリに教えられて神の声を認識したように、神の声を聴くためには訓練が必要です。聖書なき時代のギデオンは神にしるしを求めて吟味、確証しました。しかし、旧約・新約聖書が完成している今日では、必要なメッセージはすべて霊感によって書かれた聖書の中にあるので、み言葉に精通する必要があります。

次に経験的認識です。神は羊飼い。神に属している羊は羊飼いの呼ぶその声を聞き分けることができるということでした。神ご自身に時間を割き、祈り、学び、神の言葉を黙想する時、神は語られます。

第二に、今日の教会に預言者はいるだろうか?という問いに対して:

4世紀に聖書が完成してからはすべての真理は聖書に書かれているために、職務としての預言者は必要なくなっています。今日の預言は賜物で「すでに顕されたことの宣言」へと移行していて、誰にでも内住のキリストがおられ、見分けや慰め、励まし勧めは互いに提供することができるということです。未来占いのような預言の乱用には、注意するようにと聖書に書かれています。

そしてもう一つのテーマは「今日世界で起こっていることの聖書的見解」で、ハバクク書からの学びでした。

国家衰退の3段階は、霊的背信、生ける真の神から離れることから始まり、不道徳、無法・無政府状態に至ります。終末の末期である霊的背信の今日に良心ある者は、絶対基準である聖書のみ言葉に忠実であること、そしてみ言葉伝播を肝に命じるべき時です。

神の民に罪が満ちている状態(当時のエルサレム)について、神がいるのになぜ罪がはびこるのか!と問うたハバククに神はバビロンを送り裁くと答えます。不可解な答えの真意を追求するなかで、ついに神が善も悪も支配しておられ、それを許しているのは神であるということを悟ります。

今日の問題もそれは全世界が真の神を知るようになるための試練であることを知って、見えるところがどんなに絶望的でも、主にあって喜んで生きていくことが求められています。

是非、資料と録音を用いてさらに詳しく学んでみてください!!

感想

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第22回 参加者の声 | ヨシェルの会