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第35回 使徒パウロの宣教 その3

レポート

12月12日に第35回ヨシェルの会が開催されました。出席者は19名でした。

師走の多忙な時期でしたが、天候に恵まれ青空のもとたくさんの方が集まり、熱心に先生の講義に耳を傾けました。

今回の学びは「使徒パウロの宣教 その3」

「律法と恩寵の違いは何なのか」というテーマで、「ガラテヤ人への手紙3章」から1節ずつ丁寧に見ていきます。

パウロの第1次宣教旅行の帰りに「必ず、神の国に入るためには苦しみ(迫害)が伴う、心を強めて信仰にとどまるように」(使徒14:21-22)と伝えたにもかかわらず、割礼派のユダヤ人がやって来て教会は荒らされ、多くの者が間違った信仰になびいてしまったのです。パウロがあんなにイエス・キリストの十字架をはっきり語ったのに人々の目は早くも律法の方に向けられ、真理を見失っていました。

そこでパウロはガラテアの信者たちに、4つの質問を投げかけることによって自分自身のその状態がわかるようにしました。また、自分たちには教師であるモーセの律法があると主張する割礼派のユダヤ人たちには、自分たちの父祖であるアブラハムに戻り、彼がどのように神から義と認められたか、割礼を受ける前ではなかったかと論駁(ろんばく)します。

また律法と恩寵の役割の違いを明確にします。即ち、律法は人々を守り育てると共に、呪いをもたらす役割をも果たします。一方恩寵は神がアブラハムに約束した信じる者すべての者を祝福に導くことであり、十字架の贖いを成してくださったイエス・キリストこそに希望があり、神の約束は不変であると訴えています。

御言葉と聖霊によって教えられ、導かれる私たちはなんと幸いな者でしょうか。

是非、音声・資料を通してさらに詳しく学んでください。

感想

  1. 律法と恩寵。この対照的な問題を今日も詳しく丁寧に語って下さり、感謝でした。 律法の目的は罪を表すためであり、私たちをキリストへ導くための養育係の役目となっている。 律法を徹底して行なおうとする時、人は律法を守ることが出来ないことを学ぶ。 イエスキリストの十字架の贖いによって、信じる者に約束された信仰義認の祝福に与る恩寵に感謝します。

  2. ガラテヤの人も現代のキリスト者も神の恩寵によってすでに救われたのだけれど、 こんなにパウロが恩寵に生きることを必死に訴えるほどに、人間は恵みを忘れやすく、離れやすい性質を持っているのだと再び気付かされました。聖書を読めばずっと一時的に喜び、感謝しては恵みを離れる民の歴史ですから。しっかりと心しておきたいと思いました。

  3. 本年の最後の学びに参加できて大変嬉しいです。ガラテヤ書よりパウロの伝道を学びながら、福音を伝える時の知恵を頂き、再度チャレンジする勇気が湧いてきました。本当に感謝です。また、じっくりとガラテヤ書を読んでみます。 毎回、講師は(ひとりでも多くの方が救いに与ること)を篤く語ってくださいますから、主により頼んで証する者でありたいと望みます。Tさんを通じて、ヨシェルの会へ導いてくださった神樣に心から感謝します。

  4. ガラテヤ人の拡がりを学ぶ事とパウロの信仰の偉大さを感じます。律法と恩寵ゆえに感謝しております。何時も乍ら、先生の講義の確かさ、拡がり深さは大変信仰生活に重要な事と思っております。有難うございます。

  5. イエスが来られる前のユダヤ人は暗やみ(淫行、異教)で本当に困っていたと思いました。でも、神が守られない律法を与えられたのは無理難題だったのではないでしょうか。神のみ心を疑うのではありませんが。

  6. 信仰によってのみ、義とされることの強調が理解ができました。

  7. イエスキリストが罪人となられた時のこと、初めてはっきりと知らされました。 注意深く、み言葉を味わっていれば、誠にそうだと思わされました。感謝です。

  8. 律法と信仰の違いの重要性がはっきりとしました。