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第49回 使徒パウロの宣教 その16

レポート

4月9日に第49回ヨシェルの会が開催されました。出席者は15名でした。

寒暖の揺れ戻しが何度も繰り返される今年の春、長く桜を楽しめる反面、体調を崩す方も多いようです。 そんな中でも、変わらない真理を学べる時間と場所と仲間が与えられている幸いに心から感謝します。

今日のテーマは「使徒パウロの宣教 その16」 『コリント人への手紙第一 6章〜7章』を1節づつ丁寧に講義してくださいました。

前回に引き続き、具体的な問題に焦点をあてつつ、赦されたものとしての誇りと誘惑からの解放とが慎重に語られていきます。 先ずは、教会内の揉め事の収拾方法、そして結婚の問題。

信仰者は、教会内の争い事をどのように収めるべきか。この世と同じように、訴えあって互いに「勝つこと」を目指すべきなのか。 それは、そもそも信仰者に与えられた「力」を放棄しているのに等しいのではないか。 信仰者は、み使いたちをも裁くようになると記されている、なのに教会のメンバーでもない第三者に委ねる姿勢は恥ずべきことではないのか。 自分の正当性を主張し、ただ論破することを追い求めて行く姿は、キリストの弟子らしからぬものだとパウロは言います。 愛ある者として、凛とした姿勢を問われています。

そして、結婚観。パウロ自身が既婚者なのか未婚者なのかという問題も絡みます。 ユダヤ教の教えでは、家庭をもってこそ一人前とみなされます。 だとしたら、エリートコース只中にあったパウロが独身であると考えることの方が不思議です。 ところが、突然の主イエスとの出会いを経て、改宗していったパウロ。 その過程で、妻との別れがあったのではないかと考えられます。 その流れで読むと、様々な禁止事項が、穏やかな忠告に感じられます。

更に具体的な不品行についても語られていきます。 寛容や多様性という言葉の陰で、この問題に対しては許容度が広がりつつある現代です。 でも聖書は、特に原文(ギリシャ語)では、明確に禁止と書かれています。 しかし、その禁止条項の中にも、姦淫の女に罪を繰り返すなと諭したイエスの眼差しが同じように注がれています。 人は罪を犯すことから逃れることは出来ない、けれど立ち返ること、悔い改めることはできる。 清く歩もうとする心を、神は喜ばれる。 厳しくも暖かな神からの視線を感じずにはおられません。

これらの問題への対処方法の根底にあるのは、「とき(時)」の感覚です。 世は既に終末期。 この後に及んで、信仰者は「備え」をしなければなりません。 この世のことに心を奪われるのは、「とき」が切迫しているときには好ましくありません。 パウロの厳しい口調は、ここに根ざして語られたものなのです。

信仰者にとっては大切な警告として受け止める必要のある教えが、今回も語られました。音声・資料を通して更に深く学んでください。

感想

  1. パウロがコリント人へ送った手紙から改めて学んだことは、「敵を愛しなさい」というイエス様の命令があることです。避けて通りたい箇所ですが、確かにそう語られていました。「とてもできない!!」と言いたいですが、忍耐を働かせることもまた命じられています。キリスト者は問題を引き起こすこの世へのあらゆる執着から離れて、キリストに隷属することが秘訣のようです。 結婚と離婚について細かく、また結婚を通しての神様の配慮や意図も学べ感謝でした。

  2. コリント教会にはびこっていた不品行。教会内の問題は自分たちの間で神の掟に則って収拾すべきというパウロの強い思いがあって、コリント人への手紙が書かれたのだと実感しました。 自分の権利を主張することはキリストが歩まれた道ではない。なかなか厳しい教えに抵抗をもってしまいました。が、今まで気付けなかった所を気付かさせて貰えて感謝です。

  3. 男女の結婚について、離婚についてのゆるし。 同性婚についての罪、などはっきりさせていただいた。個々人の責任、選択の重要性も感じた。性同一性障害に対する対応もはっきりさせられた。

  4. キリスト者の国籍は天であり、この世はつかの間。何を天に持っていくのかを改めて問われ、天に持っていけないものを一生懸命集めている自分に気づかされました。

  5. コリント人への第一の手紙は現代に生きる我々にいろいろな問題をつきつけられます。大変勉強になりました。神に従う自身のキリスト者としての立場の重みも感じました。