レポート
5月14日に第50回ヨシェルの会が開催されました。出席者は16名。
毎月の積み重ねが遂に50回目。そして新しい元号「令和」の第1回目。語られる師と参加して下さる皆様と主の導きに、只々心から感謝します。
今日のテーマは「使徒パウロの宣教 その17」 『コリント人への手紙第一 8章〜10章』を、迷子にならぬよう丁寧に講義してくださいました。
一見発散しているように見える箇所ですが、「偶像に捧げられた食物」が根底にある問題です。パウロは、それに三章を費やして答えています。先ずは、それを念頭に置くことが迷子にならないポイントです。そして、「良心が健全である人は、偶像に捧げられた食べ物に特別な意味を感じない」が、結論です。但し、弱い人への配慮は必要であり、それを忘れては正しい歩みではないと注意書きが付きます。
歩み方という点では、知識と知恵の違いにも触れます。「神の知恵」という表現は聖書にありますが、「神の知識」という表現は見当たりません。そこには、「知恵」は与えられるもの=謙遜にさせるものという意味があり、「知識」は努力し得るもの=高ぶらせるものという示唆があります。弱者に対する配慮は常に、愛のない知識は高ぶりであり、傲慢につながるという警告を含んでいるようにも聞こえます。この辺りを、知識重視のグノーシス派と絡めて説明されました。
偶像に捧げられた食物に関しては、当時は悪霊がこの世に満ちていて、空気感染のように食物が侵されると考え、だから清めるべきという考えがベースになっていたようです。しかし、そもそも神が造られたものは全て清く、清める必要はなく、食物が与えられた恵みにこそ感謝を捧げるべきです。力点を置く場所を間違えているようで、ここにも「勘違い(罪)」が根を張っているようで考えさせられます。
そして論点は、私たち全員が持っている自由について、パウロが故の特別扱いはないことについて、この世の報酬について、天での報酬について、と移っていきます。特に9:9にある「くつこ」の部分では、この世の報酬について考えさせられます。奉仕疲れという疲弊をどう考えるのか。この章だけでは答えは出ませんが、継続的宣教を考えるなら、無視できない状況であることも確かです。
それでも、主にある働き人=神の言葉のしもべ/奴僕(ぬぼく)という考え方が新鮮で、聖アウグスティヌスの「人は、神だけに支配される時、最も自由だ」という言葉にも励まされます。救いはもう確定しているという前提で、天での報酬のレースに挑む信徒の姿を想像すると楽しくもなってきます。救われたことで満足しない、「権利の上に眠るな(市川房枝)」という言葉を思い出しながら、宣教レースを喜び進んで行きたくなります。
信仰者にとっては大切な警告も示唆もアドバイスも、たくさん今回も語られました。音声・資料を通して更に深くお学び下さい。
感想
- パウロは幾人かでも救おうと、受けてもよい権利も受けず自らキリストの奴僕であることを望み、宣教の妨げになる一切のことから自分を守りながら働きました。 みことばが示す指針は、他人の利益を心がける、何をするにも神の栄光を現すでした。私はキリストにある自由を言い訳にして自分に都合よく使っていないだろうか。放縦ではなく、自制、忍耐と共に感謝して用いていきたいと思わされました。
- 偶像には何の力も価値もないが、しかしその背後に神に反逆する霊が存在するとのこと。恐れる必要はないが、慎重でありたいと思わされました。 第一コリント10:13の聖句は私に慰めと励ましを与えてくださいます。神が試練に限界を定められていること。誘惑はサタンからであり、試練は神からであること。神は私たちを愛し、心を配り、日夜働いていてくださること。そしてサタンの攻撃に抵抗することは永続する信仰の戦いであること。先生のお話に思わずアーメンと言いたくなりました。ありがとうございました。
- 今日はグノーシス派について学び、大変興味深かったです。 知識が救いへの道となる考えは人を高ぶらせる。知識ではなく、神の知恵を求め謙遜を身につける歩みをと思いました。 又、10章ではパウロのイエス・キリストの奴隷(ぬぼく)としての姿勢を学ぶことができ感謝でした。
- 今日の学びで、天においていただく賞があることが明確になりました。賞があるならば一番良い賞をもらいたいと一心に走っていると言うパウロ、そして、黙示録に記されている天における礼拝で教会を象徴している長老が冠を被っている姿を目撃したヨハネを通して、神様が地上にいる私たちに教えてくださっていたとは…このことに気づかせていただけたことはなんと大きな喜びでしょうか。感謝です。 これからの信仰生活に力をいただける学びでした。大事なこととして、高ぶることのないよう祈りつつ。神のゴールに向かって、努力します。神に栄光がありますように。
- 天における報酬とは、今の私たちには考えも想像も及ばない素晴らしいものではないかと思います。ゴールを目指して走り続けたパウロの姿勢に倣って、私自身も自分に与えられているレースを喜び感謝しつつ完走したいと思います。また、この世では報われずむしろ苦しみの中に置かれている方々こそ、天においては一番の報酬に預かって欲しいと思います。
- パウロの神に対する姿勢、人に仕える姿勢を改めて学ぶことができました。ただ聖書を読むだけでなく、学びたいと思いました。
- いつも神第一の思いで生きて行きたいと思わされました。