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第58回 使徒パウロの宣教 その22

レポート

第58回ヨシェルの会のメッセージ。今回はネット配信の形でお届けします(2020/04/05収録)。

パウロ自身の神学(信仰の根幹)と信仰者の生き方を、コリント人への手紙から学びます。第一の手紙で厳しい忠告を送ったパウロが、その後の和解を経て送った第二の手紙。2章までの、和解への感謝の後、パウロは自身の神学を、赤裸々に言葉にします。自らが支払った代価と、この後に彼を待ち受ける勝利者としての恵み。今目の前に立ちはだかる困難と、今後迎え入れられる祝福。この世との軋轢と、そんな道でさえ希望を持って走り続けられる秘訣。未曾有の疫病の前に立ち尽くす私たちに、二千年前からの、驚きの励ましが語られます。語られる師と参加して下さる皆様と主の導きに、只々心から感謝します。

今日のタイトルは「使徒パウロの宣教 その22」。聖書箇所は、前回からの続き、コリント人への手紙 第二の3〜4章。

先ずはパウロ自身の神学が淡々と語られます。「覆い」「文字」「契約」「御霊」…、ごくごく普通の聖書用語だと思っていた単語が、アダムとエヴァ、カインとアベル、モーセと十戒、旧約聖書と新約聖書、死と新生、そして死と滅びと永遠の栄光…と関係付けられて光を放ちます。まるで聖書全体がコンパクトに収まっているかのような解説に、戸惑いすら感じつつ、驚かされます。

聖書の二重三重に重ねられた構造を改めて突きつけられる瞬間でもあります。アダムが犯した罪、モーセの限界、義と不義、人間の考える義と神の義…、それらがパウロの人生に重なるように感じられ、それと同時に、二千年前の話でありながら、今日の私たちの問題の匂いがします。神の目から見れば、我々は根本的には何も変わっておらず、相変わらず勘違いを繰り返し、この世の支配者との争いは続き、もがきつつ折れそうになりながら助けを求めている存在なのでしょう。そして、だからこそ、神はひとり子をお贈りして下さるほどに、黙視できず助けたいと思われているのが伝わってきます。

そして4章。ただ聖句を読むだけで、今の新型コロナ時代の私たちに向けて書かれたもののように耳に響きます。パウロの言う「軽い苦難」が、軽いものではないことを私たちは知っています。現在世界中を不安で覆い包む新型コロナウィルスも小さな苦難ではありません。そして、それでも聖書は断言します、私たちは「途方に暮れますが、行き詰まることはありません」。こんなにストレートな励ましも最近は聞きません。しかし、一番聞きたい言葉でもあります。

苦難がなくなることはない。しかし、あなたを待っているのは死でも滅びでもなく、光り輝く栄光だ。道は狭いし厳しくなる。決して広く楽な道になることはない。しかし、義を担う者をどれほどの祝福が待っているのか想像できるか。パウロが胸ぐらを掴むように、静かに睨むように語りかけて来る様です。そして同時に問いかけます。パウロの人生を聖書から学んできたあなた方は、これからの歩みをどうする気か、と。

目に見えない疫病が、肉体だけでなく、精神的にも蝕んでいきます。日々の生活に、今までにない重苦しい圧力が加わって来ています。それでも、絶望に終わることのない希望が、この聖書にだけは満ち溢れています。

序盤から中盤にかけて、「宗教」と「信仰」の違いに何度も触れます。旧約の時代の、規則やルールによって縛られ、神殿で特定の聖職者だけが祈りを捧げられた時代は終わりました。私たち全員が心の中に神殿を持ち、神と語り合える聖職者となっている現在。外部の状況が良くなる様には思えませんが、そして神自身が最後のステップに臨まれている様に思える中で、私たちは今一度心を静めて学び、見つめ直す必要がある様に思わされます。

信仰者にとって大切な警告も示唆もアドバイスも、今回もたくさん語られました。映像・資料を通して更に深くお学び下さい。

感想

  1. 自らをキリスト者と称していたユダヤ人の律法主義者は真の福音を実際には理解していなかった。ゆえにパウロを攻撃した。これは現在でも教会に集いながら、真の福音を理解していないキリスト者がいるのではないかと思いました。 コロナウィルスで先が見えない今、そして今後もっとくるであろう艱難、困難。その時、真の福音を理性で信じている者であるかが明確になる。人間の本性は困窮した時に現れるとありますが信仰も同じ。 内住のキリストに働いていただくには自我に死ぬ。そうありたいと願いつつ戦ってる?現実を思いました。 

  2. キリスト信仰とはイエスキリストとの関係を日々生きることですが、内住のキリストに全てを委ね、お任せをする。自分を通して働いていただくには 自我を打ち砕き、自分に死ななければならない。事あるごとにそのことを思いだし、忍耐を学んでいます。今日も、励ましとなって、心に響きました。

  3. 今回の学びでも宗教と信仰の違いが強調されました。特に信仰とは感情ではなく理性。信じることは神の御目的、計画を知ることであり、決意が必要であるとのことばが響いてきました。愛と赦し、繁栄や祝福に重きを置き、罪や悔い改めを語らなくなってきている現代の教会の在り方、自分自身の伝道のあり方も問われます。サタンの武器は偽りと偽装、様々な情報が流れてくる中で、いたずらに恐れるのではなく、真の神さまに目を向け、主に信頼して日々の歩みを進めていきたいと思います。
    最後にコロナウイルスに関してのメッセージをしてくださり感謝します。信仰者としての執り成しの祈りの大切さを改めて思わされています。一日も早く終息してくれることを祈るばかりです。

  4. 当たり前のことかも知れませんが、偉大なるパウロでさえ悩んだり、心配したり、喜んだりしたんだと知りなんだかほっとさせられています。 先生の声も久しぶりでしたが、迫力は変わらず、ポイントを教えて頂き感謝でした。 私たちの信仰も資格も召命も神からのもの。キリストから目を離さないで日々生活していく中で 自分の思いでなく神の想いを反映し神の御旨を行ってゆくことになる。そのためには自我を始末する必要がある。 そのために御ことばとキリストとの交わりを通し更に神の偉大さに触れさせていただこう!と思いました。