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第60回 使徒パウロの宣教 その24

レポート

第60回ヨシェルの会のメッセージ。今回もネット配信の形でお届けします(2020/06/07収録)。

パウロ自身の不安への対処法と私たちへのエールを、コリント人への手紙から学びます。コリントの教会へ送った叱責の手紙の後日談。コリントの友人たちがどの様にあの手紙を受け取ったのか、不安でたまらないパウロ自身が、現代の私たちが不安に押しつぶされそうになった時にどうすれば良いかをアドバイスしてくれています。美しいエールのような言葉の裏にあるパウロの不安を解説されると、今までとは違った「味」が出てきます。語られる師と参加して下さる皆様と主の導きに、只々心から感謝します。

今日のタイトルは「使徒パウロの宣教 その24」。聖書箇所は、前回からの続き、コリント人への手紙 第二の6〜7章。

手紙の背景と、もしかしたら叱責の手紙が実は紛れ込んでいるのかもしれないと言う説の解説がなされます。前者は、パウロが乱れたコリント教会に送った手紙を如何に不安げにオロオロしながら待っていたかという状況説明。後者は、聖書の編纂上のミスなのか、それとも手紙の内容を解らせる天の悪戯なのか、本当のところは分かりませんが、少し文脈上奇妙に関する部分の説明。

それにしても、解説を聞きながら、爆弾のような叱責手紙を送りつけておきながら、自分で行けばよかった、テトスに任すんじゃなかった…とオロオロとウジウジしているパウロ先生が微笑ましくて急に身近に感じられます。

そして、そんな狼狽しているパウロが、現代の悩める私たちに助言をくれています。どんな事があっても、私たちは守られているんだよ、主を信じましょう。待ち受ける困難は計り知れません、通常だと凌ぐことも耐えることもできそうにないことだらけです。でも、どんな状況でも、貴方は主によって守られているし、そこをどう乗り切っても証しになるんだよ。友よ、気持ちをしっかり保ちなさい。

普通なら、「(そんな)あんたに言われたくないよw」と一蹴するような状況です。それでも、言葉が余りに美しく正しく真っ直ぐ過ぎて、見入ってしまいます。褒められ謗(そし)られ…貧しいようで多くの人を富ませている…。何度も読み返すうちに、パウロ自身も自分に言い聞かせるように、音読していたのではなかろうかと思えてきます。そして、ふと読んでる自分が励まされている事に気付かされます。数多の制約にがんじがらめにされているのではなく、私自身が小さく悲観的な小屋に閉じこもっていたのかも、と思わされます。主は恵みで広く高く待ち構えていて下さいます。

この世との折り合いについても語られています。教会/伝道/宣教活動に於いて、私たちがとかく陥り易い罠。耳に心地良い言葉で誘うこと。パウロは明確な線引をします。なんでもありの「ごった煮」状態を良しとはしません。神が伴ってくださる仲には礼儀があるのです、守るべき道があるのです。自分の殻の中に縮み込むことも、無制限に手を広げすぎるのも、神は好まれないようです。

メッセージの中では、もう少し具体的な祈り方の解説もなされています。いつもいつも同じ失敗をして辛い気持ちを抱えているのなら、内なる主との対話が必須です。そしてそれにも「方法」があります。告白し、聴き、悔い改め、許す。主と二人だけの密室で何度でも繰り返し語り合う。訓練もまた幸かな。パウロの密室の対話にも想いを馳せながら、自分を見つめ直してチャレンジしたくなります。

コロナという「禍い」のさなか、宣教の本質を考え、福音の根幹を想い、パウロの心情に寄り添い、密室で主と語る。通勤や他者との時間が減った分、それらを試みる機会が与えられました。神は全てに時があると何度も伝えています。この静まりて我が神を想う時間は、何への備えなのでしょうか。神が次にもたらす状況は、またも誰にも想像すらできない事柄かもしれません。それでも、全てに時があります。備えの大切さも考えずにはおられません。

そして、共に喜び合う仲間がいることも、心に響きます。パウロ、テトス、コリントの教会仲間。案じ合い、存在を喜び合える関係が羨ましく眩しいくらいです。信仰者にとって大切な警告も示唆もアドバイスも、今回もたくさん語られました。映像・資料を通して更に深くお学び下さい。

追伸) 今回は、メッセージをYoutubeで聞き、そして聖書朗読を「聴くドラマ聖書」で数回聞きながら味わいました。便利な時代になったものです。 また、メッセージを聞きながら思い出した参考書/参考映画も2点上げておきます、どちらもお薦めです:

  1. それでもなお、人を愛しなさい 人生の意味を見つけるための逆説の10ヵ条 | ケント・M・キース, 大内 博
  2. 祈りのちから (字幕版)

感想

  1. 第2コリント6章の冒頭でパウロが語る「神の恵みをむだに受けないように…」は詩篇103篇の「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」の聖句を思い起こさせます。神からいただいた恵みにどのように応答していくか…これは私にとって大いなるチャレンジです。内住のキリストが十分に働かれるように自我を捨て、自分の心で自分を窮屈にするのではなく、心を広く保って、信仰者の歩みを続けていきたいと思います。 7章で、人につまずきを与えないように完璧なまでのキリスト者として歩んだパウロが「マケドニヤに着いたとき、私たちの身には少しの安らぎもなく、さまざまな苦しみに会って、外には戦い、うちには恐れがありました」と書いていますが、人間としてのパウロが表されているようで、雲の上の存在であるパウロに不思議な親近感を覚えました。

  2. 神の恵みを無駄にしない。同労者としての務めは、この世にあって人々に貢献してキリストの証しをする。 神無しでは不可能な忍耐を通してキリストの証しをする。人の目には弱々しく敗者に見えても、神の目には勝者として生きる。 簡単なことではないが目標としたい。信徒の聖めの過程、内なる聖所での対処法がとても具体的で取り組むための大きな助けを頂けた。 感謝。コリント教会の悔い改めもパウロの愛に根ざした忠告に応答したもので、変化をもたらす愛の大切さと力を改めて感じました。

  3. 神の恵みによって救われたキリスト者は神の同労者となって、神に応答して日々生きております。しかし成長の聖めの過程において、誰でもぶつかる様々な壁があります。 その対処法の説明が具体的でとても分かりやすく[7:1 (1)~(4)] 実践できますし、今後、他の人が悩み、苦しんでいる時に具体的に励ますことが出来るので、とても役立ちました。

  4. 今回もたくさんの発見、驚きがありました。みことばを丁寧により深く解き明かして下さることに、本当に感謝いたします。
    1. 信仰者ゆえにあう十の試み。その中に嘆きとありますが八方ふさがりの狭いところから神は引き上げて下さるという説明に詩編121を思いました。
    2. 神の人の9つの特徴と9つの逆説。 逆説とはこの世の道理、正論ではなく、信仰者の生きざまを顕している。パウロはこの世でどう扱われようとも神が知っておられるという信仰にたつよう語っている。これからの時代に備え、とても大切なことと思いました。
    3. 不信者と未信者の違い。 今まで混同していたと気づかされました。14節のみことばを正しく理解することができ感謝です。
    4. テトスの報告を待っている間、パウロがいかに心悶々とし取り越し苦労をしていたか、パウロの視点で語って下さり、2000年前のパウロを身近に感じることができました。こんなに身近に感じたことは私のなかで新鮮な驚きとなりました。

  5. キリスト者はニ重国籍を持つものであり、この世に在っても忠実で、社会に貢献し、周りの方々につまずきを与えないような生き方をすることが、福音宣教にとって大切であるとのこと。パウロ自身もキリストの証人として、注意深く行動していたという点で学ばされることが多くあります。また、聖化の過程における「内なる聖所での対処法」に関しての教えは、自分自身の心の内を探り、信仰を見直す上でとても有意義でした。コロナ感染の影響で自粛が求められている今日、心静かに神さまとの対話の時間を持ちたいと思わされています。