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第70回 使徒パウロの宣教 その33

レポート

2021年4月13日に第70回ヨシェルの会が開催されました。出席者は16名。

コロナ禍による非常事態宣言は解かれましたが、まだまだ収束が見えない状況の中、再開後8回目、そして遂に第70回目の集会です。「イスラエル」についての聖句を学びながら、「約束」「神のご性質」「人の性質」をテーマに進みます。聖書の中で交わされた数々の約束を見返し、神がそれぞれにどの様に向き合ってこられたのかを学びます。その過去の話が、いつしかこれから起こると約束されている事柄と交錯します。約束に真摯に向き合う神の姿は、今後起こると預言されている全ての事柄の確かさの裏打ちになっていきます。語られる師と参加/視聴して下さる皆様と主の導きに、只々心から感謝します。

今日のタイトルは「使徒パウロの宣教 その33」。

いつもに増してポイントが多い気がしましたが、私に刺さったのは下記三点。置換神学(イスラエルに約束された祝福は教会へと流れを変えたという考え方)について、アブラハムの子孫だという血筋を根拠とした自分たちの正統性について、そして、私たちの不従順に対する神の対処(積極的な介入と放置のように見える沈黙)…おそらくはどの時代でも流布された、これらの「勘違い」を、これまで神がなさってきたことを反例として論破していきます。

約束を守る、というより約束を破れない神が、祝福の対象者を簡単に代えられるだろうか。人の努力に依らず、神により頼むことを願う神が、数々の約束相手である民の失態によって神は心変わりをするだろうか。神の書き記させた言葉の重みとは如何ほどなのか。神が一旦示したものは、必ず成就するという過程を辿りながら、その確かさを噛み締めます。

アブラハムの血筋という栄誉を誇る民に、神を裏切ったアダムの末裔である事実が突きつけられます。その意味では、祝福の末裔ではなく、反逆の末裔。そう呼ばれても致し方ない民なのに、祝福の約束は破棄されません。むしろ、未来までも見通せる神の眼には、いつ誰がどのように裏切るのかさえ明白なはず。それにもかかわらず祝福を閉ざさず、立ち返りを、悔い改めを忍耐強く待ち続ける姿に、自分だけでは届かない場所へ引き上げてくれるかもしれない希望を感じます。

自由意志を尊重するが故に、時に神が長く沈黙していると感じることもあります。見放された感覚を持つこともあります。しかし、命じるのではなく、お願いするかのように神は待っておられる。特定の状況以外はひたすら待ち続け、直接的な介入は控える。それでも、ゴールは明確で「誰一人として漏れることのない救い」。明確な聖句をも身勝手な解釈で人間色に染めようとする自分たちを省みるほど、申し訳なさと感謝がこみ上げます。

考えてみれば、不義に触れることすら出来ない神が、不義を犯した人間を救おうとしています。イエス様も裏切る未来を解っていながらイスカリオテのユダと共に食事の席に着きます。神はどこまで、面倒なことが好きで、お節介焼きで、私たちのことを好きなのでしょう。それほどに想われる私たちは何と光栄なのでしょう。

古い契約と新しい契約。旧約聖書と新約聖書。与えられた約束の大きさ、重さ、広さ、高さ…。「約束を守る」というシンプルで、出来て当たり前のように言われる行動指針の難しさ。そして、小さな約束も守れず、大きな約束も破ってしまう私たちの愚かさ。神の恵みと介入への期待が高まります。未だまだ道は続きます。信仰者にとって大切な警告も示唆もアドバイスも、今回もたくさん語られました。音声動画・資料を通して更に深くお学び下さい。

PS.
今回の質疑の時間も盛り上がりました。二倍の祝福と長子の権利とヨブ記。「ねたむ神」とは何なのか。日本伝道と唯一神について。「和をもって尊しとなす」と「義」とは両立しないのか。多くの主にある教会や集会でも、どうやって福音を広げられるのか、神の計画にどのように私たちが参加できるのか、議論と行動が深まればと祈りました。

感想

  1. 16節の「事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神による」が心に残った。被造物に対する主権は神にある。反逆した人類に対しアブラハム契約による祝福を一方的に約束してくださったのも、キリストによる罪の許しを与え救いの道を開いてくださったのも、ただ主権者なる神のあわれみによる。繰り返して細かく丁寧に教えていただくことで心深くにみことばがとどまり感謝です。

  2. 今回は最初にイスラエル人に与えられている十の特典と契約の内容、メシヤの来臨、幕間の教会時代、教会などに関して詳しく説明してくださったので、その後の聖句の解説が理解しやすかったです。イスラエルは神さまの選びの民であり、約束は決して変わる事がない。私たちクリスチャンもまたしかり。真実で憐み深い神さまゆえにみ名を崇めます。

  3. ローマ書9章、何度読んでも心にしこりが残る箇所でした。神の選びに関してどうしても納得がいかない、腑に落ちない!神はみこころのままに憐れんだり頑なにするなら、人間は神には逆らえず…結局は神さまの決めた通りに全てのことがなされる。とするなら、人間にはなす術がないのではないか?と。 しかし今回の学びで、人は自由意志によって神に反逆し神を拒絶することを選択したこと。つまり霊的に死んだ時に霊的な生命の代わりに反逆の性質が宿り、それゆえに悪が芽ばえたこと。「人は頑なになったから救われないのではなく、救いに対し頑なであるので救われない」という説明に納得がいきました。本来なら滅びに至る者が神さまの憐れみにより、救いの恵みにあずかれるという神さまの偉大なご計画に改めて感謝致します。 今日も貴重な講義をありがとうございました。

  4. ローマ9章を一節づつ、丁寧に内容の濃い講義をしていただき、今まで素通りしていた箇所も理解が少しできるようになり感謝でした。ローマ9~11章はイスラエルの復興について記されていること。しかしキリスト神学はこの箇所の解釈を間違えて捉えていること。現在にまで至るその経緯を教えていただき、神は一度約束されたことは必ず守られる方であることを重ねて学べたことはとても良かったです。 ユダヤ人の十の特典、四つの無条件契約、永久の契約など他、それぞれ興味深く示された聖句をもう一度開いて熟考したいと思いました。