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第76回 使徒パウロの宣教 その39

レポート

2021年10月12日に第76回ヨシェルの会が開催されました。出席者は15名。

コロナ禍を示す諸々の数字が小さくなる中、それでも平安を取り戻せていない状況での開催でした。何が有効に我々を守ってくれているのか、未だ待ち構えている悪しき状況は何なのか、どちらもよく分からないままに日々が過ぎていく感覚です。学ぶ聖書箇所は、平穏に近づいているかのように見える日常とは逆に、パウロが自由を奪われていく場面へと突入します。遠くない未来に艱難期が私達を待ち構えているのであれば、まさに私達が今学ぶべきことが書かれている場面だとも言えます。語られる師と参加/視聴して下さる皆様と主の導きに、只々心から感謝します。

今日のタイトルは「使徒パウロの宣教 その39」。

多くの対比の中で、様々な謎や疑問が解きほぐされていくような解説です。ユダヤの民とローマの軍、同胞と敵軍、因習を第一とする者たちと真実を探求する姿勢を崩さない者たち、暴徒と化す寸前の怒りと綿密に計画された様々な歴史、そして冷静さと大胆な言動。

パウロ自身が信徒を迫害し続けたからこそ、敵対する状況になってからも宗教指導者らからの証言も得られ、ローマ市民だからこそ支配軍であるローマ兵に守られる。パウロがユダヤ教の王道中の王道の師に学び歩み、生まれた地がローマに貢献したからこそ市民権を有す。神が時代をも越えて堅固に守る奇跡のようなバランスの中心にパウロが立ちつつ前に進みます。

大祭司がどう言ったかではなく、何が真実であるかを求める探究心を千人隊長が崩さない姿勢も印象的です。本来温情をもっても致し方ない同胞がパウロをなじり、本来敵対すべき者がパウロを保護する。律法というある意味「秩序」を重視する民が暴徒と化しそうになり、力でねじ伏せるのを得意とするローマ兵が市民権という言葉を前に言動を改める。意味は違いますが、どこか「後の者が先になり、先の者が後になる(マタイ20:1~16)」を思い出させるような展開です。

権威を人に求める民と、真実探求と原因究明を求め続ける軍。そこに、ローマ市民権という特権の有無を重ねて考えるのは穿(うが)った見方かもしれませんが、天国という信徒の「国籍」も頭をよぎります。パウロがあくまでローマ兵には丁寧に、律法主義者には厳しく言葉を選ぶのも、パウロ自身の出自を想えば感慨深いものがあります。

そして、そうした大胆かつ勇猛なパウロの行き先が「牢獄」だと知っているからこそ、聖書を読み進める目と解説を聴く耳が、痛みます。解説の中では、個人的な体験を咀嚼(そしゃく)し、異邦人にさえ伝わるように再構成する時間の重要性も語られました。聖霊が共に居てくださるにしても、孤独な旅路だと映ります。

現代を生きる私達にも、総論のような解説や説明ではなく、個人個人の体験としての「信仰」を語り継ぐタイミングに差し掛かっているのかもしれません。千人隊長が慣習や権威に流されずに自分が納得するものを追い求め、持てる力を全て使ってパウロを保護しようとしたように、私達も自分の言葉で求め語り継ぐ「覚悟」が問われています。

聖書の最終段階に差し掛かっていることは、ここ数年今まで以上に強く語られるようになりました。でも、この章を見る限り、本当に機が熟したなら、種蒔く人も、種を蒔かれる土壌も、神がきちんと備えてくれるのだと励まされます。それでも、いつその時が来ても大丈夫なように、私たちなりの備えも必要です。

そのためには、千人隊長が「何故だろう」と疑問を持ち続けた様に、何事も鵜呑みにせず、問い続け探し続けることが根幹なのかもしれません。そしてそうした問いの先に、その答えを欲するように「種」を待ち求めている人たちも用意されている気がします。パウロが走り抜けた先に、私たち「異邦人」にも、御言葉が届いたように。

本当の苦難を前に、私たちが聴くべきこと見るべきことの大切さを想います。信仰者にとって大切な警告も示唆もアドバイスも、今回もたくさん語られました。音声動画・資料を通して更に深くお学び下さい。

感想

  1. ダマスコ 途上で青天の霹靂を体験したパウロが、まず一人アラビアに行ったことを忘れていた。厳格なパリサイ人として生きてきた信念から福音による救いへの信仰の転換、アラビアにおいてもイエスとの問答はあったのだろうか。確信と前進には 様々な経験と同時に、一見遅滞とも見える沈思の時もまた 必要で神が与えているのだと気付かされた。 また、パウロが求めたのではない召命と証のチャンス、ユダヤ教の派閥争いを思い起こさせる知恵、パウロ殺害の陰謀をまた聞きすることになった甥や千人隊長や総督の行動の背後にある神の計らいをみことばの学びを通して知り、神への信頼が増し加わる恵みに感謝です。

  2. 今回の学びでは大祭司アナニヤやユダヤ総督フェリクスに関しての情報を知り、改めていつの時代も権力者の在り方はほぼ同じだと思わされました。傲慢で欲深く自己保身。しかしその様な中で、ローマの千人隊長・リシアは職務を忠実に行使するだけではなく、パウロに興味を示し好意的に取り扱ってくれたことを嬉しく思いました。 ユダヤ社会においての異邦人の救いがどれほど画期的な事であったのかを改めて思い知らされました。そしてそのために選び出されたパウロ。神からの明確な召命と励ましなくしては決して遂行出来ない働き。神に対する絶対的な信頼と確信、覚悟を持っての命がけの宣教活動。時として受け入れ難く理不尽であったり、遅延と思えるような出来事の中にも神は常に共にいてくださり、必要な備えをしてくださる。そして全てのことを働かせて益としてくださる。神のご計画は変わることなく、神の約束は必ず成就する。真実で偉大なる神ゆえに御名を崇めます。学びに感謝します。

  3. 講義を聴きながら、まるで映像を見ているかのような感じがしました。ユダヤ人の群衆を前に弁明するパウロ、暴徒化する民衆、千人隊長の介入、議会におけるパウロと大祭司のやりとり、激化する論争、パウロの姉妹の子の登場、ローマ軍の護衛のもとカイザリアに移送され、総督の保護のもとに置かれるパウロ…それぞれの場面の背後にパウロを導き守り助けておられる神がいてくださる。そしてその同じ神がこのような小さき者にも目を留めてくださり、励まし支えてくださっていることを感じることが出来ました。貴重な学びの時間でした。

  4. ユダヤ人に訴えられ、捕えられといった出来事を通して、パウロはユダヤ人民衆の前とユダヤ人指導者の前で弁明することになる。弁明はすなわち証しであり、主イエスと出会ったというパウロと主イエスとの個人的な関係を証した。この証しを聴いた民衆のなかにイエスを信じたいと思った人がいたのではないか。 また、神はパウロの姉妹の子を用いたり、千人隊長リシアを介入させてパウロの窮地を救わせたりと脱出の道を備えておられた。神の計らいは深く大きい! 私たちも困難な問題の中にあっても神の守りと導きが常にあることを思わされました。

  5. 場面がすみやかに頭に浮かび、とても興味ある時間でした。ありがとうございました。