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第77回 使徒パウロの宣教 その40

レポート

2021年11月9日に第77回ヨシェルの会が開催されました。出席者は10名。

コロナ禍を示す諸々の数字は更に小さくなり、徐々にかつての「平安」ってどうだったっけと微かな余裕も出てきました。未曾有のパンデミックも過ぎれば「さざ波」程度に感じてしまうのが、人間なのかもしれません。学ぶ聖書箇所は、パウロの戦いが本格化する前哨戦です。神の計画の綿密さを感じつつ、今の時代の私たちに重ねながらの学びです。語られる師と参加/視聴して下さる皆様と主の導きに、只々心から感謝します。

今日のタイトルは「使徒パウロの宣教 その40」。

パウロが、ローマ皇帝の前に立つための狭き門が描かれます。宗教指導者たちに告発され、ローマ兵に捕らえられ、軟禁状態を経て、上訴へ向かうプロセスです。結果的に二年に渡る第一審裁判所の様相を呈し、関係者(キャスト)自体も代替わりしていきます。

キャストは、後任者も含めて基本的には五人:

  1. 神と共に歩むパウロ
  2. パウロを告発する宗教指導者サイド(大祭司アナニア、弁護士テルティロ、ユダヤ人長老たち)
  3. ユダヤの王一族(アグリッパ王[二世]とその妻ベルニケ)
  4. 皇帝に忠誠を誓うローマ軍(フェリクス総督とその妻ドルシラ、後継者フェストゥス総督)
  5. ローマ皇帝カエサル(登場はしませんが見え隠れします)

今回は、メッセージを聞きながら、「真実」を知ってしまった時の、知らされてしまった時の採るべき姿勢の違いを教えてもらっている気がしてきます。

先ずは基本的な価値観の違いです。180度の方向転換をしてでも新しい教えに真摯に向き合うパウロ、伝統や慣習を最重要視し本質を見誤り続ける宗教指導者、意思決定ができず優柔不断な罪を重ねるユダヤ王一族、そして秩序を最重要視しながらも私腹を肥やすことに余念のない総督達、一見綺麗な法秩序を構築したかのように見えても実は汚職の温床を築き上げてきたカエサル。

そして政治的な立ち振舞いの違い。神の秩序(計画)に身を任すパウロ、自らの保身を第一とし、暗殺まで画策する宗教指導者、ユダヤの民を率いる責任を放棄しローマ軍におもねるユダヤ王、皇帝からの視線を気にするあまり現状維持やコトナカレ主義に陥るローマ軍、そして恐怖で縛られ維持できている現状に満足するカエサル。

更に教義に対する姿勢。盲信する訳でなく神が語られた言葉に向き合うパウロ、神から出たものではなく自分たちが築き上げたものを「正」と考える罠から抜け出せない宗教指導者、自らの「信仰」を深く考えないで安穏と今の地位に座すユダヤの王、あくまでユダヤ人の問題であり「自分ごと」として考えられない思考停止のローマ軍、一地域の土着の宗教程度に考えているかの様なカエサル。

更にメッセージの中で、このキャストの意味が語られます。実は、ユダヤの王一族は、かの「ヘロデ」の最後の末裔。ユダヤ総督は、かの「ポンテオ・ピラト」の後任者。つまりパウロが囚われの身になるこの裁判は、イエスを十字架につけた審議の再演なのかもしれません。そして主は、宗教指導者にも、ユダヤ王にも、総督にも、犯した罪を「悔い改めるか」と問い直している気さえします。

自由を奪われて囚人服をまといつつ、真実をとうとうと語るパウロ。しがらみや因習や思い違いに囚われつつ、苛立ちつつそれに対峙せざるを得ない他キャストたち。一番不自由で弱い状況にある者が、一番雄々しく立ち、この世のどの「力」にも依らずに平安でいる。誰が欠けても成立しない不思議なバランスの守り。神の綿密で手厚い備えと計画が垣間見える瞬間です。そしてそんな場でも、ものごとに対する基本的姿勢と行動指針と信仰を、神は見ておられる。パンデミックのさなかにいる私たちにも問われている問題だと声がします。

良心と神との関係、いつもは収録しない質疑でのステパノとの対比なども聞くことができます。信仰者にとって大切な警告も示唆もアドバイスも、今回もたくさん語られました。音声動画・資料を通して更に深くお学び下さい。

感想

  1. 学びを通し、神が背後にあって、パウロが律法を犯しているというユダヤ人の誤解を用いてパウロを議会にかけ、総督の裁判の席に着かせ弁明の機会を持たせ、自分の天からの召命と蘇えったキリストの証をなさせ、皇帝への上訴によってローマへ向かわせている道筋がよく見えてきました。 また、フェリクスの賄賂を得ようとする下心とイエスに関する興味心、真実であるがゆえに説得力のあるパウロの証に引き込まれるアグリッパ王とフェストゥスの神からの良心の働きと動揺などが興味深かったです。ありがとうございました。

  2. 今日の学びで良心について語られたことが心に残りました。人が作った道徳的基準は神の定められた基準の良心とは違うということ。神は全ての人に良心を与えられていて、その良心とは神を認識する心と理解しましたがそれで良いのか。罪ある私たちは歪められた良心をもって生まれてくるとあり…具体的にもっと詳しく教えて頂きたいと思いました。又、ルカの福音書と使徒の働きが書かれた目的はパウロに罪がないという陳情書であったこと。イエスキリストを証しするために法廷弁護士宛てに書かれたのだと知り、何故ルカが正確に記録し伝えたかが解りました。感謝です。

  3. 弁護士テルティロは自分の能力、手腕を発揮することで、総督フェリクスは立身出世と金銭欲の野望で伸し上がって来た、自分第一の人間。対して、どこから見ても罪状が見つからない清廉潔白なパウロは、身に覚えのない不当な訴えに、冷静に穏やかに理路整然と語る。パウロは只々キリストの素晴らしい恵みを伝えたい思いだけ。保身は一切ない。この対照的な人間の有り様が印象に残りました。

  4. 今日の学びでもたくさんの事を教えていただきました。パウロのカイサリアでの2年間の拘留は長すぎるのではないかと思わされましたが、しかしそれ故に使徒9:15-16のみ言葉の啓示がみごとに成就している事を知る時に、物事が思うように進展せず焦る心に落ち着きが与えられます。また、よく耳にする「失われた10部族」という考え方や、パウロは既婚者であったのかどうかというような疑問などに関しても聖句を通して教えていただけて感謝です。いつどのような状況下にあっても主の証人として常に冷静に真実を語るパウロの在り方に感動を覚えます。今回も自分自身の信仰の歩みを見直す貴重な時間となりました。ありがとうございました。

  5. 良心(神が定めた基準)。「清く生きることによって罪を許される」という言葉に、強く感動いたしました。来月もとても楽しみにしています。ありがとうございました。

  6. 先生の一人で学ぶ黙示録を読み始めましたが、ヨシェルの会でも学びたいです。是非お願いします。毎回目が開かれます。