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第87回 ヨハネの黙示録 その9

レポート

2022年10月11日に第87回ヨシェルの会が開催されました。出席者は11名。

コロナ禍はもはや「平常」の状態に見えるようになり、それでもそれで苦しむ者の声が微かに伝わってくる日々。ウクライナの地での砲撃は、どちらが優勢かが議論の的であり、ここでも弱き者たちの姿は大勢の関心事ではなくなりました。時間がなにもかもに慣れさせ、おぼろげにさせる気さえする中でのヨシェルの会です。今回は「幕間」として、全体を俯瞰するような描写が続きます。一人で読み進むには難解で、諸々を混同してしまうような箇所でもあり、殉教のような厳しい言葉も出現します。語られる師と参加/視聴して下さる皆様と主の導きに、只々心から感謝します。

今日のタイトルは「ヨハネの黙示録 その9」。

学ぶ聖書箇所は、ヨハネの黙示録14章から15章8節まで。テーマは「慰め」。苦しみの中で安らぎを感じる方法は様々あるかと思いますが、かなり大胆に思えます。大きな流れを見せること、信じる者の行き末を示すこと、悪しき者たちに報いとして与えられる苦しみに終わりがないこと、神の怒りの激しさ…。一見慰めに見えない言葉の流れの先に光が見えます。

聖書を読みながら、混乱するポイントは3つなのかもしれないと気が付かされました。「言葉と描写」「時間と順番」「死と滅び」。

言葉と描写。示される言葉の意味を一つずつ厳密に解釈すべきですが、そこにはまり込んでいくと先に進めなくなります。ヨハネは、見せられたもの(映像)を、「書き記し」ています。「聖書を字義通りに解釈せよ」と身構えてしまうと、「シオン」「子羊」「十四万四千人」…14章1節を解釈するのにも膨大な調べ物が必要となります。そして今回も正確な定義を避けた言葉が出てきます。この御使いは誰なのか、この刈り取りは何を意味しているのか。様々な解釈の例を見るまでにし、断定を避けもします。翻訳という壁向こうから読む者には更に難易度が上がります。ただでも難解な言葉の海で、更に迷ってしまいます。一読で理解し切ろうと思うのではなく、何度も読み重ねて理解することを、神自身が願っているのかもしれません。

時間と順番。読み進めると時間軸がよく分からなくなります。でもそもそも神はヨハネに、その場にない時空を見せています。しかも書き記せと命じながら。だとしたら、書き記しやすいように「編集」されているはずです。ここではこれを知ってほしい、あそこではあれを知ってほしい。映画でもそうですが、作り手は意図を持って映像を作り込みます。ただ映画監督は、その意図を軸に匠に映像を作り込んで行きますが、神は本当に起こったものをつなぎ合わせて見せるのだと思います。人間には未だ起こっていない事柄が、神にとっては過去形・過去完了形なのでしょう。人間は混乱してしまう方が道理です。でも印象だけで読んだ気になってしまうのは危険です。ヨハネも実は少しは「図解」しているのではないかと夢想してしまいます。現代に於いてこの書を読む私たちも、自分で図を書いて整理した方が理解が進むのでしょう。

死と滅び。これが日本語で学ぶ者にとっての最大の壁という気がします。神は人の死を少なくとも二段階に分けて考えているようです。ドラマや映画のように悪人に肉体的死を与えれば「終り」とは考えていません。同時に肉体的な長寿も「幸福」とは考えていないようです。永遠の命、これが鍵なのでしょう。災いの中で「主にあって死ぬ」者が出てきます、悪しき者に「昼も夜も安らぎがない」結末が描かれています。反射的に肉体的な死を「結末」と思ってしまう身には、その先の喜びも苦しみも実感として想像し難いものです。でも神が「苦しい」と表現されるものの苦しさは、いったいどれ程なのでしょう。

壮絶な聖句は、神の絶大さを示していますが、どちらの道に進むのかは各人に任されていることにも驚かされます。悪しき者の末路は描かれていますが、悪しき者の定義は各個人の決断です。神を恐れるか、獣を拝むのか、神の戒めを守るのか、イエスに対する信仰を持ち続けるのか…。今回の聖書箇所を読み、私たちは何を受け取るべきなのでしょうか。疑問形にはなっていませんが、「決断と覚悟に関する問い」なのかもしれません。

今回も少し理解が進むと、倍ほどの疑問が現れるという道を進んだ気がします。配信しているものには収録していませんが、毎回最後に質疑の時間を取っています。そこで、何故神はこれほど複雑な災いで毒麦を刈り捨てようとするのかと質問がありました。「是が非でも”人”を救いたいと思っておられるのではないか」がその時の答えです。終末の悲惨さは、実は神の身を切るような切実な救済策なのかもしれません。信仰者にとって大切な警告も示唆もアドバイスも、今回もたくさん語られました。音声動画・資料を通して更に深くお学び下さい。

感想

  1. 聖書が最初から語ってきている終末、再臨、裁きについての最終巻である黙示録は難解。なんとか理解して落ち着きたいが、ヨハネが残してくれた預言も「、、のような」が多く 解釈に幅がある。計画は神の御手の中にあり、私たちはその厳しい現実に直面することになる。しかし、キリストの贖いによる救いに心から感謝、最後まで忍耐できるように祈って備え、 自分の務めを果たしたい。よき学びに感謝します。

  2. 今回、とても心に響いたのは質疑応答の時に講師が語られたことです。 ノアの伝道期間120年(箱舟建造年数)の間に神の言葉を信じた者は8人だけだったと気づかされたと。120年間、伝道していたという視点にハッとさせられました。改めてノアの人生に思いが至りとても励まされました。今日も感謝でした。

  3. 今日の講義の箇所、14章はキリスト者への慰めとのこと。天においては最後まで神を信じ従い通した人々が神を賛美している様子が描かれている。同時に地においては悪に対する主の裁きが決行され、悪の巣窟バビロンは完全に崩壊する。神はこれまでずっと忍耐し悔い改めを促してきていたが、ここに至っていよいよ神の怒りが直接下される事になり、悪者は永遠に火の燃えさかる地獄で生き続けることが記されている。死んだら誰もが天国に行くという風潮があるこの日本においては、とても厳しい恐ろしいメッセージである。現代を生きる人々が真剣に死後の世界について考え、真理に出会い救いの道を選択して欲しいと切に願います。偽りの福音、耳に優しい神学などに惑わされる事なく、しっかりとみ言葉を学び続けていきたいと思わされています。今日も貴重な講義、ありがとうございました。