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第88回 ヨハネの黙示録 その10

レポート

2022年11月8日に第88回ヨシェルの会が開催されました。出席者は14名。

久々の秋晴れの日。何もかもが穏やかに進んでいるように見える日々。それでも戦争は続き、新規コロナ感染者数で再び日本がトップになり、汚職の解明は進まず深くなる。表面的なものと、その内面に流れるものとの乖離(かいり)がますます大きく広がるように感じる中でのヨシェルの会です。今回は神の怒りの激しさが描かれます。難解な言葉も多いように思います。語られる師と参加/視聴して下さる皆様と主の導きに、只々心から感謝します。

今日のタイトルは「ヨハネの黙示録 その10」。

学ぶ聖書箇所は、ヨハネの黙示録16章から17章6節まで。テーマは「鉢(神の憤り)」。反逆する者に対する神の怒りが描かれます。「汝の敵のために祈れ」という一般的なキリスト教の印象からは程遠い、ある段階を越えた時点で突然襲ってくる「終局(箴言24:22)」です。7の70倍許せと語った主の忍耐の先にあるもの。イエスの時代から二千年以上も耐え続けた神の憤りが地に怒涛のように降り注ぎます。

注意が必要なのは、「悪性の腫れもの(黙16:2)」ができた人こそが「自分の行いを悔い改めようとしなかった」こと。ここで描かれている災いは、対象者が明確にされている点です。「出エジプト」で、同じ土地で暮らす者たちの中でも、災いを受ける者と受けない者とに分かれたように、ここでも選別が前提です。行いの種類でも、奉仕の量でも、献金の額でもない、信仰という秤によって選り分けられる私たち。

皮膚病、水(海・河川)、太陽、闇、枯渇、空気…全てを奪い尽くすような勢いで憤りが進みます。余りの過酷さに文字を追う目が止まります。同じ空間に居る自分たち自身の心配もします。でも「自分のいのちを愛する者はそれを失い(ヨハネ12:25)」とあります。悪が倒れる様に歓喜するかもしれません。でも「あなたの敵が倒れるとき、喜んではならない。…主がそれを見て心を痛め、彼への怒りをやめられるといけない。(箴24:17-18)」とも書かれています。「毒麦の喩え(マタイ13:24-30)」で語られた、毒麦だけを焼き尽くす方法がこれなのかという思いもよぎります。

一つひとつの言葉の意味を吟味し、その解釈を考え合わせていく道筋に、初臨時の「東方の博士たち(マタイ2:1-12)」の地道な研究の歩みも重ねてしまいます。この光景を見せて記述させるのに、ヨハネを選んだ理由も考えます。ヨハネではなくペテロなら、ルカなら、アンデレなら…どんな視点でどのような描写で記したのでしょう。そして何故ここまで詳細に記す必要があるのかも…単に「毒麦は刈り取られた」とせず、段階に分けて悲惨さが誰にも分かるようにする意味はどこにあるのでしょう。

今回も進む毎に謎や疑問が増えていきます。現実の世界の諸々の要素との関連付けを考えると、ますます混迷します。誰が獣なのかを考えると更に迷路に迷い込むようです。良い麦と毒麦とが入り交じった畑のように、現在は白黒も善悪も見極められない状況のようです。クリスマスもイースターもハロウィンもゴチャゴチャな時代にもなっています。そもそも「義人はいない。一人もいない。(ロマ3:10)」のでしょう。そんな中でも「一人として滅びることなく(ヨハネ3:16)」と願う神の大きさに圧倒されます。

そして神がエデンの園でアダムを造ったことを忘れないように、異端のルーツも決して忘れないことにも気付かされます。バビロンが今現在なんと呼ばれようとも、神から見れば、人を神から切り離した忌まわしいものでしかないのでしょう。そして「自分が作った穴に落ち込(詩篇7:15)」むように滅ぼしつくす。清めに遠慮はなく、聖化に甘さもありません。

語られるのを聞きながら昔教えてもらった言葉を唐突に思い出しました。「真理は愛によって柔らげられなければ厳しすぎる、愛は真理によって鍛えられなければ甘すぎる」。ますます個々人の判断と決断と覚悟が問われている時代を感じさせられます。信仰者にとって大切な警告も示唆もアドバイスも、今回もたくさん語られました。音声動画・資料を通して更に深くお学び下さい。

PS. 音声では「次回は18章から」と締めくくっていますが、次回は17章7節からの学びとなります。また、全体像が分からなかったという声もありましたので、そのあたりも配慮して進めたいとのことです。ただ、ビジョン自体が得体の知れない、謎めいた女ですから、実際に起こるまでは、推測の域を出ず、解釈の難しい箇所ですので…。次回も是非ご参加ください。

感想

  1. ニムロデの神への反逆と偶像崇拝がバビロンからベルガモン、ローマの国教制度へと続き、背教の人類史に遂に神の裁きが下ることを学び、聖書が本当に過去を学び、現在を見分けて、未来を見通すために人類に与えられた預言書であると再認識しました。まもなく反キリストにより世界統一宗教と世界統一政府が樹立されてしまうと思われますが、神の勝利が約束されていることに勇気づけられます。黙示録の学びを通して心構えのできる恵みに感謝すると同時に、この預言を宣べ伝える責任を覚えます。学びに感謝します。

  2. 鉢の裁きは神の怒りの裁き。封印の災いが始まっている今でさえ、ロシア、ウクライナ戦争、コロナ感染、干ばつ、洪水、地震、異常気象の弊害、国や民族の分断、内紛…。様々な悲しい辛い出来事があるのに、ラッパの災いに続いて鉢の災いは過酷すぎて、辛すぎます。主を信じ従って歩んでいる者には主の守りがあると講師は語られるが、自分の回りの愛する人たちが救われてない時はどうなるのだろう。想像するだに悲惨な現実を思うと心が重くなりました。

  3. 黙示録は時系列がよく分からず、迷います。ラッパの裁きと鉢の裁きは同時期にほんの少しの時間差で起こるのかも知れないし、もしかすると違った角度からの描写かも知れないと思ったりします。いずれにしても人が生き延びていること自体が信じ難い状況です。神は人間にとって必要で良いものとして自然をつくってくださいました。にもかかわらず、敵はそれを悪用し破壊し人を苦しめるために用いてきています。最終的に創造主なる神ご自身が「人間原理」を根底から揺るがし裁きを下されるという説明に納得しました。人間文明は大河ユーフラテス、バビロンで始まり、そしてその同じ地で終焉を迎えるという。人間の限界、儚さを思わされます。悪者たちがたとえ今どんなに栄え、驕り高ぶっていても、必ず終わりが来るということ、神の裁きを逃れる事が出来ないという事実に畏れを覚えます。神がまだ私たち人類を憐れみ、忍耐しておられ、最終的な裁きをくだされる前に、主に立ち返る魂が起こされることを切に願います。

  4. バビロン・淫婦の姿が明確となりました。終末の世界がよりリアルに見えてきました。私たちの行動がどのようになればよいのか、何を祈ってけばよいのか少しずつ分かりはじめました。まず、個人的に主とつながることを願います。

  5. 疑問に思っていたところ、わからなかったところが今日の先生のお話でわかったこと、感謝でした。今の世の中で起こっていることを聖書的に解釈してくださり、神がすでに決められていたこと、赦しの中でなされていること、裁きが必ずあり、神の勝利を改めて確認でき平安になりました。クリスマス、イ—スタ—、ハロウィン、ローマカトリック等聖書に反していることは前から知っていましたが、確認でき感謝です。

  6. 今回は獣の王国・神に反逆するものたちに注がれる鉢の裁きに関しての学びでしたが、本当に凄まじく想像を絶する状況です。第六の鉢でハルマゲドンの戦い、そして第七の鉢でサタンとそれに属するものが滅ぼされ、汚れた地が完全に聖められて、神の御国の建設へと移っていく。ここに至ってはじめてホッとひと息つける気がします。今の世の中はバビロンの異端的要素が組織化・制度化・習慣化されていて恐ろしいです。ハロウィンまでが日本でお祭り化されていることは本当に残念です。ローマカトリックの宗教組織のあり方や世界統一宗教に向けての動きに関しても怖さを覚えます。生かされていることを日々感謝し、最後まで主に信頼して歩み続けたいと思います。学びに感謝します。